イランに降る雨

人ごみを濡らすともなく初時雨


数少ない読者の皆様、
新年おめでとうございます。


それから、

届かぬ声であることを承知で書きます。


日本の代表である安倍首相はトランプ大統領にもののあわれを語り、その大罪に思い至らせなければなりません。殴ってよいのは愚かな己だけだと。


今こそ血税を投じて築き上げてきた「友情」を、イランの人達に、世界に役立たせるときです。あなたにしか出来ないことです。



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目白署の裏にて


モスリラ


いよいよ今週末


会場は奇しくも、

先のツツガムシ公演と同じ、目白


ギャラリー鶉(じゅん)

目白駅から徒歩数分



目白署の真裏



犯罪の香り



牢毒劇



14日(土)は私も在廊いたします。


どの回も、チケット、余裕あるようです。


ご出頭......

いや、ご来場、お待ちしてます。



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モスリラ


朗読劇 「モスリラ」



久々にやります。



再々演。



朗読って、読んでるだけでしょ? 素人でも出来るんじゃない? なんで芝居しないの? 眠くなりそう...。


そんな声が聞こえてきそうです。無理もありません。巷で行われている朗読のほとんどが、お芝居の台本、あるいは小説や詩の読み上げですから。


「モスリラ」は、朗読劇として書かれています。朗読であるからこそ、味のでる作品です。


90分、あっという間だと思います。



12月14、15日の2日間だけの公演です。



禁断の「朗読劇」の世界


こっそり覗いてみませんか



http://www.nano-square.com/produce/moss4/


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FIN

「ドイツの犬」


終わりました。


千秋楽。


かぶりつきで観ちゃいました。


途中でフレド役の本多と目が合ったり。


レナとザックの別れに涙したり。


いいですね、舞台は。



今回の芝居は、シラーやチャイコフスキー、それからベートーベンにも力を借りました。


彼らのエネルギーは凄い。


書いているときも感じましたが、ああいったものが今、どれだけ創られているのか。


打ちのめされます。



ご覧になってくださったお客様、

ありがとうございました!


また、忘れた頃に

お会いできるかもしれません。




あ、そうそう。


実は今回、ツツガムシ公演史上、お客様最年少記録が更新されました。


なんと、小学1年生、男子!


ちょっと心配だったのですが、最後まで静かに観てくれました。



で、帰り際。


劇場の下におもちゃ屋さんがあるのですが、そこにお母さんを引っ張り込んでおねだりしたのは....



ピストル(笑)



よほど嬉しかったんでしょう。その夜はピストル片手に眠ったそうです。



どんな夢を、みたのかな。



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小泉将臣


時々、ピタッとした、いわゆる「はまり役」の方がいらっしゃいます。それはキャスティング段階では案外見えていない場合が多く、稽古を重ねる中で、或いは、本番を迎えて、「おお、はまり役じゃん!」といった具合に、明らかになることが多いように思います。


今回、「ドイツの犬」でも、そんな「はまり役」の俳優さんがいます。


小泉将臣さん。



「あの人が出てくると寒気がする」

「ナチの制服似合い過ぎじゃね」

「目がヤバい」

「あんなの、どこで見つけてきたんだよ」



これらお客様の声は、どれも誹謗中傷に聞こえますが、俳優にとっては、どんなほめ言葉よりも嬉しい、お客様の本心の表れであります。


私自身も、彼のやや引きつったヒステリックな笑い声を聞くと、生理的な嫌悪感を感じます。氷のような冷たい声を聞くと吐き気がします。しかし、これは大変素晴らしいことなのです。



さて、誤解のないように実際の彼についても申し上げないといけないような気がしてきましたので少しだけ。


彼は今回も含め、過去2回のツツガムシ公演の実現に誰よりも貢献してくださっているお一人です。彼のような若者が、今回の公演にも何人かいて、この公演は成り立っています。特に俳優座の三人の若手の女優さんは、「ドイツの犬」公演を支える素晴らしい仕事をしてくれています。小泉さんがツツガムシの舞台に立ち、光り輝くことは、俳優座が、才能に溢れた、理想の高い若者に恵まれた劇団であることの証左でもあるのです。



しかしながら、手に入れた役を、「はまり役」にするのは才能です。優れた俳優はいつでも裏切り者です。


私は個人的に、小泉将臣さんは将来、本を書く人になるような気もしています。本当に可能性に溢れた人です。


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お客様


毎日、多くの方々が劇場にいらしてくれます。本当に有り難いことです。


そのお一人お一人が、大切な一日の大半の時間を、私達の舞台を観るために充ててくださる。劇場で過ごす2時間の何倍にもあたる時間を、そのために捻出してくださる。場合によってはそのために、深夜バスに乗って一昼夜をかけて...。


昨日はアフタートークのために俳優さんたちと共に登壇させていただきました。そこから見えるお客様のお顔のあたたかさ。私達が芝居を創るのはこの方々のためだと強く感じました。この方々にとって大切な人達のためであり、またその人達とつながる人のためだと。


私達が足掛け1年をかけて注ぎ込んできた情熱の形、「ドイツの犬」


これをご覧頂けるのは、あと、



一週間



今週末にでも、いかがでしょう。

この日、最年少のお客様は小学3年生の女の子。面白かった? という私の問いかけに、笑顔で大きく頷いてくれました。(その小さな手を、強く握ったまま、いつまでも話を続けましたら、暴れ出しましたが)


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出会い、そして再会


「ドイツの犬」のチケットを既にご予約頂いている皆様、本当にありがとうございます!


お一人お一人に、直接、感謝の気持ちを伝えることは叶いませんが、大切な皆様のお名前を眺めながら、一人嬉しさを噛み締め、心よりお礼申し上げております。



そして、「も少ししたら予約しよっ」あるいは、「当日、連絡しよっ」と思われている悠長な皆様! 先の公演でもそうだったのですが、ツツガムシは公演後半にお客様が集中いたします。恐らく、SNSなどで観劇された方の感想などを読まれ、行くかどうか迷ってたけど、ちょっと覗いてみようか、なんて方が多いのだと思われます。この、後半にお客様が集中するという傾向は、毎回のことです。とても嬉しいことなのですが、そのためにご覧頂けない方がいることは、同じくらい残念なことだとも思っております。


席数80足らずの小さな劇場です。(舞台が始まれば宇宙のように大きな空間になりますが)全17ステージですから、全てのお席が埋まれば1360人の方にご覧になって頂けます。皆様のご予約が早ければ、それだけ多くの方に楽しんで頂けると考えております。



とはいえ、かくいう私も予約はいつもギリギリです。それで何度失敗したことか。折角、時間をつくり、高い交通費払い、ワクワクしながら劇場に行ったのに門前払いの憂き目に合う。これ、相当辛いですよね(笑)



すでに初日10月31日と11月2日13時30分の回は、ありがたいことに売り切れております。全日程、当日券は多く出せないと思われます。ですから、この企画、この舞台に、少しでもご興味をお持ち頂けているようでしたら、お早めにご予約下さい。



すでにご予約頂いた方の中には、前回の舞台が良かったからと、続けてご覧になってくださる方がたくさんいらっしゃいます。本当に舞台はご縁です。かけがえのない出会いの場だと思います。皆様との出会いを、再会を、心より楽しみにしています!


              日向十三



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オールジャパン


全勝で決勝トーナメント進出。


感無量。


しかも、オールジャパンの出自は多様。オール・アースみたいなチーム。そのチームが、繋いで繋いで、勝ち進んでいる。彼等の勝利に胸を打たれているのは「日本人」だけではないはずです。国籍なんか超えている。



親父と一緒に見たかったな。親父はラグビー気違いでね。ガキの頃、シーズン中の週末は、いつも二人で秩父宮か国立競技場にいた。テストマッチも嫌って程見たけどね、もうまるで歯が立たない。一つトライが決められれば、負けても、勝ったみたいに嬉しかった。


あれから40年。隔世の感があるね。



親父はオールジャパン、明大や早大のチームドクターだった。菅平の合宿にも連れていかれてね。俺は山みたいな選手達がスクラムを組む横で、一人トンボを追いかけてたっけ。往年の名ラガーに肩車をしてもらって眺めたグランドの眩しさは幼少期の宝だ。


そんなわけでラグビーがやりたくて、私立の学校に進学した。当時は相模台工なんかには敵わなかったけど、今は強くなったね、桐蔭学園。松島選手、ほんと素晴らしいな。


ところが俺は下手くそでさ、早々にラグビーは諦めた。中3でボクシングに転向(笑) 一人でやるのが性に合ってるみたいだね、何をやるにしても。


で、この学校の怪我人も親父は看ててね、俺が喧嘩して学校から親が呼び出しを食らうと、親父は嬉々として俺と一緒に学校に行くんだね。で、怒られるはずの親父に、鬼みたいにおっかない先生が頭を下げる。俺なんかほったらかしにして、ラグビー、柔道、酒の話で盛り上がっている。何しにきたんだよって白けてたけど、今思えば、俺は親孝行したんだなって、そう思うよ。「俺の倅が喧嘩するのは当たり前だろ」って。親父、ホント楽しそうだった。



親父、スコットランドに勝ったよ。アイルランドにも、ロシアにも、サモアにも、全部勝ったよ。


見せたかったなぁ。


いや、多分客席にいたね。


孫娘の売ってるビールを馬鹿みたいに飲んでさ、(娘がビールの売り子やってました。スコットランド戦)大好きだった仲間と一緒に、最高に楽しんだね。


俺も楽しんだ。一人、飲み屋で。


知らない連中と。


友達みたいに。



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言葉


芝居を書き始めてこの方、ずっと胸に置き続けている言葉があります。


フランツ・カフカが、彼の若き友人、グスタフ・ヤノーホに語った言葉。



「人は、どうあっても書かねばならぬことだけを、書かねばなりません」



私にとってのフランツ・カフカとは、この創作態度に手足をつけたような人です。あたかもリンゴの実が、リンゴの木にしか実を結ばないように、この言葉も、カフカにしか語れぬ言葉です。ですから、私の胸の内にはいつでも、生きたカフカが座っているのです。


もちろん、座っているのは彼一人ではありません。プラトン、ゲーテ、シュタイナー。日本人なら、宮沢賢治、小林秀雄、池田晶子....。



みな、言葉の通り生きた人たち。


書かねばならぬことだけを、書いた人たち。


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確信


ツツガムシの稽古場。


覗いてきました。



稽古5日目にして、このクオリティ。この熱量。

スタッフもキャストも賭けている。この瞬間に、全てを賭けている。


いい芝居になります。

間違いなく。


世界中の人に、観て欲しい。



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0.1パーセントの可能性


追って詳しくお知らせいたしますが、12月に作・演出いたします。その、飛び稽古が本日ありました。



 いやー、まぶしかった。20代の俳優たち。



 可能性というのは、たとえそれが0.1パーセントの可能性であっても美しい。いや、低ければ低いほど、美しい。そして若さとは、その塵ほどの可能性に賭ける大胆さでしょう。夢と理想の渇望、その異名でしょう。



 私のような無名の男に、こういう得難い機会を度々作ってくださるHさんにも、失敗を恐れぬ大胆さを、燃えるような若さを感じます。


 それに比べれば、カジノ賭博なぞ、所詮、子供の遊びです。



時々、くるくる回してます。深く、味わいのある音色が、そのシンプルな形の中に見えるようです。

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シャロンテート

タランティーノ、観てきました。


2時間40分。長いですかね。全く気になりません。中身が濃ければ、時間なんか短くても、長くても関係ない。人生と一緒です。タランティーノはそのことを知っていて、しかもハリウッドで実践している。大したものです。


シャロンテートの映画です。彼女とハリウッドが重ねられている。自分の出演作を観るシャロン。あの気持ちが全てです。



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サーティウインターズ


芝居観てきました。文学座アトリエ。30年振り。いいですね、あの空間。いろいろな記憶が蘇りました。随分たくさんの人が亡くなって、随分たくさんの人が誕生した。

19歳の俺、ホント生意気なガキでした。まあ今も変わってないつもりですが。懐かしい人にも会えました。多分、私のことは思い出せなかったんじゃないかな。誰だろう、このお坊さん、困ったな、って顔されてましたから。

でも、それでいいんです。忘れるのも人間です。そんな姿さえ愛おしい。

そうそう、隣の席のお客さん、食い入るようにツツガムシの折り込みチラシ見てました。来てくださいよツツガムシも! もう少しで声掛けそうになりました。



雨が屋根を叩いてます。


あの頃と変わりません。


その文学座に私たちの芝居の折り込みがある。


いい感じです。


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長閑な一日



夕暮れや我と我が身と秋の雲   十三



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久々に、一人、畑で野良仕事。と言ってもほとんど土器を掘っておりましたが。


あと、上の写真にある椚林でクワガタ探し。小さいけれど黒光りする美しいヒラタクワガタを見つけました。




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随分ほったらかしてたから、キュウリはウリハムシに齧られまくられて傷だらけのうえ、化け物みたいに大きくなっていました。でも、見かけによらず大変美味。命が、自然の中で、自然に育ってますから、まず中身はいいんです。これ、人も同じですね。

夏野菜も、もう終わり。さあ、秋は何やろうか。

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落蝉(おちぜみ)


街灯の下に落蝉二つ三つ    十三



 こんばんは。ぼちぼち49になる日向です。そんな心境を下手な俳句にしてみました。誇張ではなく、39を昨日のように、29を一昨日のように感じます。光陰矢の如しとは、年を重ねねば知れぬ感覚です。はい。まったく。



 さて、日韓関係の悪化とかで世の中、喧喧諤諤としておりますが、これも「アラフィフ蠅滑り日向」に言わせて頂きますと、子供の喧嘩のようであります。紅組と白組のたたかう運動会のようでもあります。まあ、力比べです。行き着く先は戦争かってなりますよ、そりゃあ。


 日本人とか韓国人とか、そういう帰属意識って無知であればあるほど強いです。無知というのは国籍や人種による人間分類以前の、「人間存在」に対する思索不足という意味です。そんなことは百も承知だと思われるかもしれませんが、その思索は深め過ぎるということはないのです。たとえば、古今東西の古典文学を読むことは人間存在の謎を追究するうえで、誰にでも取り組める最上の方法でしょう。これはゲーテの受け売りですが、とりわけ古代ギリシャ人からは学ぶことが尽きません。人間の本質は、いつ、どこで、誰の子として生まれたのかという点にあるのではなく、その絶対的な精神的な面にこそあるはずです。愛は、その最も確かな人類共通の精神的実存でしょう。


 韓国のみなさん。中国のみなさん。北朝鮮のみなさん。世界中のみなさん! 日本に是非いらして下さい!


 ツツガムシ公演はラグビーワールドカップの時期に重なります。「ドイツの犬」を観に来たついでに、ラグビーもしっかり楽しむ。そんな遊び心で、政治の作り出したつまらない誤解を、柔らかく解きほぐしましょう!



何か載せる写真ないかなぁと探していましたら、なんと、部屋の片隅に落蝉を発見! お前、いつ、どこから入った...。
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浜田学

浜田学


彼が18の頃から知っています。でも、彼の何を知ってるのかと問われたら、答えに窮してしまいます。そうだ、日向よ、お前は偉そうに、学の何を知っているというのだ?!



何も知らない......かも。



いや、そんなはずありません。見方を変えてみましょう。では、もしも彼が俳優をやってなかったら何をしているか。これなら分かる。分かりますとも。おそらく彼なら、私立探偵、賞金稼ぎ、悪徳警官、或いは......銀行強盗。うーん、どれも映画の主人公のようです。やっぱり俳優しかないのかもしれません。


いや、それならこんな見方はどうでしょう。彼を動物にたとえるのです。これはもう文句無しに、人間よりも猛禽類に近い男です。そう、クマタカみたいな男です。面構えも性格も生態も、全部そっち寄りです。ですから、雀の中にいると気の毒ですね。ちょっと優しいところがありますから、雀を怖がらせないように、自分も雀のふりをしてしまう。でも、やっぱりうまく雀になりきれなくて苦笑いしてるクマタカ。それが浜田学です。(本当か?!)


ともあれ、彼にはこれまでも何度か声をかけてきたのです。なかなか実現しませんでしたが、やっと一緒にやれることになったわけです。それも、彼のためにあるような役でです!


うーん、待っていたんだな、孤高のクマタカ。


遥か高みで。

目を光らせて。

腹を空かせて。



ツツガムシの本多(お菓子係)も久々の共演に興奮しております。この二人は真夜中の六本木の小学校の校庭で殴り合いができるほど仲良しです。ええ、あれはまさしく決闘でした。お互い若いくせに紳士で後腐れなし。血だらけの栄光。本多の彼女も、そして学も本多の見事な殴られっぷりに落涙してました。



あれから幾星霜経ちまして、いろいろ変わったような気もいたしますが、存外そんなに変わっていないのかもしれません。一円にもならぬ芝居を続けている(止められぬ)というのがその証拠で、そこに学が里帰りしてくれたのも、やはり彼の「変わらぬ」証左でしょう。



秋の夜長はツツガムシ

「ドイツの犬」をお楽しみに。



さあ、ご存知ない方、浜田学はいずれの男でしょう。(ヒント)「欲」を感じさせない、純粋な少年の瞳をしております。

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変わる?

昨日は池袋の東京芸術劇場に、芝居を観てきました~。


で、最近、すっかり考えていないことに気がつかされました。



原発。


多分、安倍政権と同じくらい当たり前に稼働させてしまっている。(いずれも「事故・事件」はなかったことになってますねぇ)変えたいなぁ、と思いながらも、それを支える経済という名のシステムがあまりに手強すぎて変えられない。デモも選挙ものれんに腕押し。だからまあ、静観するしかない、みたいな心境になってしまっている。そして結局、何も変えられない。まあ、暫くはないでしょ、地震も戦争も。大丈夫。そのうちきっと変わるよね。そんな感じになっていたわけです。はい。


ただ、こうも思うわけです。何かを「変える」なんて、多分私には出来ないことだって。何かを変えられるとしたらそれはきっと、「自分」だけでしょう。そして、それは正確には、「変える」ではなく「変わる」です。能動的行為を表す自動詞でなければおかしい。


あらゆる可変的な存在について、「変えた」と思っていたものは、実はそれ自体が、「変わった」のではないか。あるものの全体の変化は、そのあるものの部分の変化の総合的結果に過ぎないのではないか。だとすれば、社会の枠組みのようなものが「変わる」ためには、まずその社会の部分的存在である自分が「変わる」必要が求められるわけで、そこに表れる何かしらの変化が他者に影響を与えることはあるかもしれないけれど、それは「変える」とは質的に、明らかに別種のものなのではないか。


なるほど、「変わる」ことしか出来ないのだとすれば、原発の問題も、社会問題でありながら、自分の問題、極めて個人的な課題でしか有り得ない。まあ、このことは私自身が誰よりも痛感するところでありまして、昨日の芝居の主人公、次回ツツガムシ公演「ドイツの犬」に出演いただくキシケンこと岸田研二さんが演じるところのあの男は、要するに私自身ではないか! と思わされるわけであります。


お説教は聞きたくありませんが、目の前にいるその人間(ドラマの中の登場人物であっても)の変化に、私たちが自ら気がつくことは、これは大変価値のあることだと思います。良い教師とは必ずしも学校にいるとは限りません。「変わる」ことの難しさ、価値を無意識のうちにでも知っており、自らの変化を通して他者の変化を促すものは、これは誰であろうと立派な教師でしょう。


変えようとしている以上、変わらない。ちょっと絶望的なものの見方に思えるかもしれませんが、急がば回れ、という諺もあります。「変える」から「変わる」へのシフトは、原発が「変わる」以上のものを、私たちにもたらしてくれる気がします。




東京芸術劇場でツツガムシのチラシを発掘! 手前味噌ではありますが、大量のチラシの中で一際輝いて見えました~


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煙ったい話


芥川太宰中原安吾らの唇焦がし蝙蝠消えゆ


                 十三



彼等の創作が紫煙の中で生まれたことは、あまり話題に上りません。私も紫煙の中で少年時代を送り、いつか親父のように、両切りのピースを金のダンヒルで燃やしてみたいと夢見たものです。夢は叶い、未だ夢の中でありますが、世は空前の健康ブーム。臭い臭いと、通りすがりの子供にまで手で扇がれる有り様。


息(生き)苦しい世の中です。たかが煙草に目くじらを立て、正気とは思えぬ重税を課す。煙草の文化的な側面には目もくれず、根絶やしにしてしまえと言わんばかりの風潮こそ、文化の衰退、精神的不健康でなくて何でありましょう。


あの一様にパッケージに印刷された文言の下品(げぼん)に至っては開いた口が塞がらません。あれは一体、誰が、誰に対して語るつもりなのでしょうか。喫煙者は大人です。煙草の「害」など言われるまでもなく知っているのです。それなら車にも「ドライブは罪のない人をひき殺す危険があります」と書くべきでしょう(ボンネットに)。スマホにも「あなたの思考力や感性を著しく低下させ、創造性に欠けた詰まらない人間にしてしまう危険があります」と書くべきでしょう(画面に)。要するに何の意味もないのです。あの文言には。その意味のない詰まらない文句のために犠牲になっているパッケージのデザインのことを考えてほしいのです。喫煙者は、あのデザインも気に入って買っているのだから(ですよね?)。


喫煙は平和の狼煙なのです。インディアンは戦争になりそうになると酋長同士がお互いに煙草に火をつけあって、気持ちを落ち着けてから話し合いをしたとのことです。ですから戦争がほとんどなかったのです。これはお酒と比べるとまあ分かりやすいですね。鉄道員に対する暴力事件の7割だか8割が飲酒者によるものらしいです。ホント、喫煙者による暴力行為のデータも出してほしいものです(自信満々)。


長くなりました。喫煙の話をしながら文化の話をしたつもりです。どこが! と突っ込まれそうですが本当です。なくした後では遅いのです。ゴールデンバットの歴史は100年以上。フィルターなんかついちゃっていますが、私たちの精神を豊にしてくれた文豪たちが、どんな香りの中で作品をものしたのか体験できるのは素敵です。それも出来なくなってしまう。哀れ、後世の文学少年少女! 安吾の作品をタピオカジュースを飲みながら読む......。まあ、それはそれで楽しいか。



写真はフランスのゴールデンバット? ゴロワーズ。両切りはやっぱり特別です! 最高~



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デート

今日は19才の女の子とデートしました!


と言っても、姪っ子ですが。



おじちゃん、バイク買うから付き合って! ということでバイク屋巡り。それなら任せろとばかりに張り切った次第です。


私は昔からバイクに乗る女性は無条件に素敵だと思う節があって、それはぼとんど憧れに近いもので、姪っ子だとどうかと思いもしましたが、やはり真剣にバイクを見つめる彼女を、眩しい太陽でも見つめるように目を細めて見ている自分に気がつきました。


いいですよね、女の子がバイクに跨がって笑顔になるのって。最高。


バイクは危険ってイメージはどうにかならないものかと思います。勿論、事故になればその危険は四輪以上だけれど、気をつけて乗って得られる喜びは、ちょっと名状しがたいものがあります。飛行機を操縦したことはないけれど、その解放感は、陸の飛行機みたいな感じじゃないですかね。何から解放されるかは人それぞれだとしても。


高校生のころは相模川河川敷が天国でした。学校をサボって独りで走り回っていると、転けて痛い思いをしても幸せでした。少年らしく、傷が増えるのが男の勲章みたいな気分になったりして。あ、そう言えば、昨日、久々にこけました。バイクの下敷きになって、しばらく足が抜けず、これは恥ずかしかった。助けてくれたお兄さん、サンキューベリーマッチ! 私が女ライダーだったら惚れました!


姪っ子と別れたあとは、町田の書斎ベローチェで「ドイツの犬」の推敲。鬼演出家田中の言葉を苦々しく思い出しながら第二次世界大戦下のフランスを一人旅。いや、フランスなんか行ったこともないのに、案外自由に動き回れ不思議。奇妙なものです。


いや、最近ほんと毎日幽霊みたいに、ゆらゆら遊んでるだけみたいな感覚です。みんな俺のこと見えてないんじゃないかって時々不安になります。透明人間になりたいという少年時代の夢が叶った気分です。


数少ない(物好きな)ブログ読者の皆さん! 8月には海水浴場で、11月には劇場で会いましょう。暗い目をした坊主がいたら、それが私です。




写真は実家の壁に何週間も張り付き続けて、そのまま他界したカメムシ。潔いと思うのは私だけでしょうか。

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働かないアリ

社会性昆虫のアリの集団の中に、一定の割合で「働かないアリ」というのがいるらしいですね。そして、その労働拒否のアリたちを排除すると、また残った集団の中から同じ割合で、「働かないアリ」が出てくるとか。自分で調べたわけではないから鵜呑みにするのもなんですが、人間社会を眺めれば、同じような現象に心当たりがないわけでもありません。「社会」というのは、古今東西きっとそんなもんなんでしょう。


さて、とするとです。

演劇企画体ツツガムシは毎回、基本三人で企画を動かしているわけですから、理論的には、この中にも「働かないアリ」がいることになります。まさかいるのか、そんな奴が? 誰だ? 俺か? 田中か、あるいは......



本多だ。



今回の企画も、ここまで本多は、ほとんど何もしていないのではないか......。三人の共有メールの膨大なやり取りを確認しても、本多のコメントは......本多は......ほ、ほぼ全て絵文字だ!!


いや、彼の名誉のために弁護しなければいけない。芝居の稽古が始まれば彼は光輝くではないか。稽古場の雰囲気を明るくしたり、飲み会を盛り上げたり、喫煙所を笑いで満たしたり......いや、でも、これは......遊んでいるだけではないのか!?


恐るべきかな、働かないアリ、本多新也。しかしそれでも、彼がいなければツツガムシが「蠢く」ことはない。本多が働かないから、俺や田中が、頑張らなきゃと健気に思うのであり、そうであれば、これは本多の存在そのものが本多の仕事であるわけだから、彼は実は働いているともいえる。しかし、そのことを本多が分かってて働かないのだとしたら、何だか少し腹が立つ。うーん、本多よ、無意識のうちに働かないでいてくれ。


それでもまあ、うまくいってるからいいか、というのが毎回の我々(俺と田中)の結論なのです。ただ、最近、本多の打つ絵文字の意味がよくわからないものが相当数あったりしまして、まさか、やり取りを読まずに打ってるんじゃ......と、少し心配になっただけなのです。




下の写真は本多の一人暮らしには広すぎる部屋で会議をしたときのもの。田中と本多で餃子を作っています。このときは私が働かずに、本多に厳しく叱られました。
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