もとどおり


もとどおり



死んだから いないのか

いないから 死んだのか


まあいいや どっちでも


生きていたから いたわけでも

いたから 生きていたわけでも


ないのとそれは 同じこと


あたしも あんたに会う前の

あたしに 戻っただけだもん


               十三


バイク仲間の姪っ子の可愛がっていた猫が旅立って、母子共々ひどく落ち込んでたので、子猫を捕まえて無理やりプレゼントしました(笑)


まあ、「もとどおり」にはなりませんが、猫族はワンネスですから、こんなときは新しい命を迎えるのが一番です。


すっかり家族の一員になったクーちゃん。

可愛いでしょ💕


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懐かしい

懐かしい


おじいちゃんは懐かしむ

写真の中のスポーツカー

世界を何度も回るほど

こいつで走り回ったよ

くわえタバコにサングラス

きれいな人を抱き寄せて


お母さんは懐かしむ

夢の話をするたびに

インドで過ごした夏休み

コトバが通じる世界より

通じる何かがあったこと


お兄ちゃんは懐かしむ

家族で行った海水浴

その民宿の裏山で

クワガタたくさん捕まえた

お父さんとの最後の思い出


あたしもやっぱり懐かしむ

去年の冬の今頃を

みんな素顔で手をつなぎ

熱があっても遊んでた


一年前のことなのに

なんだかとても懐かしい


                十三


先日、小学六年生の女の子と話をする機会がありまして、五年生の頃が懐かしいって繰り返し言うんです。はは、懐かしいってついこの間のことじゃないかと思いましたが、でも、そう言う彼女の目には、ちょっと切羽詰まったような真剣さがあり、黙って頷くしかなかった。


確かに私も、この子たちが五年生だった一年前が懐かしい。ホントになんだか、随分昔のことのように感じます。


懐かしい、にもいろいろありますが、忘れかけていた記憶がある物事をきっかけに一気に蘇ったときに感じる、ある種の感動。その記憶が美しいものであればあるだけ、懐かしい。かけがえのない人との思いがけない再会はその最たるものでしょう。昨年暮れ、やはり一年ぶりにこっそりと教え子達を訪ねたときは、我が人生最大と言ってよい歓迎を受けびっくりしました。子供達は駄目な大人である私を、仲間の一員のように見てくれていたようです。


あ、知らなかった方、すみません。私、塾で(なんちゃって)講師をやってます。隠してたわけではないのですが、これまでブログでは言ってなかったことですね。教科は国語。そのまんまでしょ(笑)



ふらっと立ち寄ったフクロウカフェで。カラードコノハズク。可愛かった~(はは、いいオッサンが何やってるんでしょうね)

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世界

世界


見える見える よく見える

月も土星も金星も

ぺテルギウスも名もない星も

宇宙の果ても

見えるかな


見える見える よく見える

どんなに小さな生きものも

その歯もひげも鼻くそも

夢も悩みも

見えそうだ


望遠鏡と顕微鏡

遠くが見えるの

どつちかな


              十三


金子みすゞ風に(笑)

新年明けましておめでとうございます。

世界が美しくありますように。


           2021年 元旦


空からの来客。癒されます。
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気持ちのいい、遊び


最近、天気のよい日が続いていることもあり、隙を見てはお日様に向かって瞑目しております。日向だけに、日に向かうわけでございます。


あるときは、都会のビルの谷間からこぼれ差す光に向かい、またあるときは公園の片隅でタバコなぞふかしながら光を浴びるわけです。


まあ、五十がらみの剃髪した男が目をつぶっていつまでも太陽に向かって立ち尽くしているわけですから、傍目には奇妙な光景に違いありません。犯罪逃亡者が自首するるべきかどうるか迷っている、あるいは、泥沼となった不倫関係をどうしたものかと思い悩んでいる、そんな崖っぷちの男の、人生の岐路に立たされた姿に見えたとしても、まさか、「お日様に向かってじっと目をつぶると、自分がお日様の中にいるのか、お日様が自分の中にあるのか分からなくなる遊び」をしているナイスミドルだとは分かりますまい。


げぇ、キモ~という方はさておき、ん、その「遊び」、どこかで聞いたか読んだかしたことがあるぞ。何だっけな。ヘッセかな。いや、宮沢賢治だったかな。いや、ゲーテだ。そうだゲーテだ! という方はツツガムシの大事な大事なお客様であります。ドロップという今年の夏の公演で、少女モニカとお人形のロビンが、よくやっていたよね、と懐かしく思い出すあの遊びです。


まあ、言い方の問題で、要は日光浴だろって話です。ただ、本日、発見があったので、ちょっとご紹介したいと思います。


上述の通りに遊ぶとですね、これが本当に太陽の中に自分がいるのか自分の中に太陽があるのか分からなくなります。そうしますと、あれ不思議、全く温泉に首までつかっているような極楽状態になるのです。ポッカポカ~


実は今日も、男やもめの滅入り(メリー)クリスマス。なんか一人で盛り上がろうとしまして、そうだ、ひさびさにスーパー銭湯でも行こう、そこで湯上がり美人たちに囲まれて、傑作を書こう! と思い立ちましてタオル片手にバイクに飛び乗ったわけです。で、そのまま風呂に行くのも何なので、その前に河原に寄ったのです。めちゃ広いのに車が全く止まっていない謎の駐車場があるので、少しバイクのターンの練習とかジグザグ走行でもして汗を流そうとしたわけです。


ヘルメットの中でエルビスのラブソングを、エルビス顔負けの甘い声で歌っていると、あっという間に河原です。おお! なんと、夕日の美しいことよ! 私はバイクをスティーブマックイーン(享年50)のように、ひらりとカッコよく降りると、夕日に向かって、日蓮上人のように瞑目しました。5分、10分、15分....するとです。すでに肌寒い夕刻で、冷たい風が吹き始めているにもかかわらずですよ。気分は箱根、奥湯本となっているではありませんか! ああ、日はすでに遠く沈みかけているというのに、光の本質は変わらないのだ! 何という、いい湯加減だ! もうスーパー銭湯に行く必要はない! と言うか、一生、入浴する必要もない! どこでもスーパー銭湯だからな! さらば湯船! お日様、万歳!


というわけで、そのままバイクでブンブン遊んで帰りました。汗をかいて気持ちが悪いので、今日は風呂に入ろうと思います。



同じバイク、見ないなぁ(嬉)

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おりん


先日、生まれて初めてオープンカーに乗りました。どんな感じなのかなあ、と長年想像していたので期待が大き過ぎたのかもしれませんが、まあ、こんな感じか、といったところでした。普段バイクに乗っているせいもあるのでしょうかね。比べるのも野暮ですが。


それよりも、加速したり曲がったりする度に身体に掛かるGを支えるようにシートがブリブリ動くのが面白かったです。いいよ、便通(ベンツ)そんなに気を遣わないで、って言いたくなりました。


思えば、車もバイクもそういう余計なものがごちゃごちゃ付くようになりました。これ、スマホを手にした人と向き合っている感じにちょっと似ています。私が、ただ走るだけの機能に特化したスッキリしたバイクに心を惹かれるのと、古典的な読み物に心を惹かれるのは、同じ心理によるものなのかもしれません。


古典と言えば最近、深沢七郎の楢山節考を読みました。まあ、こういう深い感動を味わえる作品はなかなかありません。正宗白鳥が「人類永遠の書の一つ」と評した作品。


こういう作品を読むと、なんだか全てを投げ出したくなります。ボクシングでボコボコに殴られて白目を剥いてKO負けした後に、「もう、情けない人ねっ!」って、恋人に振られて、それで海に行ってバカヤローって叫んだら女子校生に笑われた、みたいな、そんな気分です。惨めですけど、でも、これがまあ、俺なんだよなって認めるしかない。まあ、そんな感じです。分かりますよね、あなたなら(ちょっとドキっとしましたか。え、見えるのって。はは、見えません)


姥捨てというと、貧困や、そこから発生する風習を忌むべきものとして捉えがちですが、全くそう見えないのがこの作品のオソルベキところです。棄てられる「おりん」に悲壮感はひとかけらもない。死出の旅を心待ちにし、その日を早めようとさえする。この「おりん」の、ある種あっけらかんとした心象とは一体何であろう。彼女の幸福な臨終を、無知のための悲劇的幸福と一蹴していいものだろうか。インドでは伝統的に、死期の近づいた老人は食事をとるのをやめ、自ら黄泉の国へ旅立つ準備を始めると何かで読んだ覚えがありますが、いずれの場合も自ら「歩み」を進めるわけです。死にゆく者にとって、死とは忌み嫌い、恐れるものではない。そんなものであるはずがないという一致。


そう考えると、なる程、楢山のカラスの群れははちっとも不気味ではありません。むしろ親しみさえ覚えます。息子の「辰平」にはそれが分からない。分からないのは、母親が愛おしいからに違いないのですが、では、この現実原則に縛られた愛とはいかなる愛か。


背板に母を乗せて楢山を登る息子の姿が、どこか神話性を帯びるのは、どう考えても血縁の愛を超えたものがあるためではないか。


うーん、よくわからないのでご興味の湧いた方はご一読のうえご教示下さい。(夜10時ころ読み始めますと、夜中の1時くらいに読み終わる長さですから、いい感じで眠りにつけます。多分)



楢山節考に興味津々のET。

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伊丹十三


  野良猫の尻に張り付く枯れ葉かな


                十三


暖かな秋の昼下がり。黒い野良猫が尻に枯れ葉を付けて歩いているよ。長閑なものであるなぁ。俺も仕事をサボって、積もる枯れ葉に身を沈めて、空でも見上げたいものだなぁ。



先日、久しぶりに映画を見ました。居酒屋兆治。1983年の作品。高倉健。


これも、小説同様、昔、手にしたものをもう一度味わいたくなって、何となく。


当たり前ですけど誰もマスク付けていません。三密の居酒屋。狭いカウンターに、ギュウギュウ詰めになって、みんな唾をぶっ飛ばして大声で騒いでいます。やっぱり、あれがノーマルです。ニューノーマルなんて簡単に言うべきじゃありません。放射能のときもそうでしたが、原発もコロナも、それから川辺川のダムなんかにしても、政治家や専門家、資本家に預けられる問題であるはずがない。そりゃ答えは簡単に見つかりませんけど、人間の作った問題ですからね。解決するのもやっぱり人間しかない。大騒ぎする客を静かに見つめる寡黙な兆治の、高倉健の生き方をぼんやり眺めながら、ああ、ここに答えがあるじゃないかと思いました。



亡くなった人達に会えるのも映画の楽しみの一つです。高倉健、大原麗子、伊丹十三、大滝秀治、佐藤慶、東野英治郎....。



伊丹十三が出色。


ホント最初から殴りたくなる役どころです。でも、それだけではない。あの河原という男にも愛がある。それはきっと伊丹十三という存在と切り離せないものです。観客が、あれは私だ、と思う役です。俳優が、あの役を自分もやってみたいと思う役です。


演技技術ってなんか特別なものみたいに思われたり思わせたりしている節がありますけど、そんなものは実はありません。歩き方を学ばないのと同じ意味で、人は勝手に歩く(生きる)のですから。そんなものないのですから当然、そこに演技の本質はない。演技技術というものの存在理由は、それをいくら学んだところで「無駄」だと気がつく一点です。技術から解放されるために技術を学ぶ。おかしな話ですが、まあ演技に限った話ではないでしょう。その時がくるかこないかの違いです。(あ、少し前に、林さんは伊丹十三が好きだから十三なんですよね、と言われました。はは、まあ好きですが、名前は日当たりの良い13階に住んでいるから日向十三と、適当につけたものです~)



一人の女を、三者が三様に愛した物語。


自分の書くものは、20代の頃に見たこの作品からも影響を受けていたようですな。



病院の上に、妖しくかかる月。美しい。


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晩秋


かつて読んだ本や、観た映画をもう一度読みたい、観たいと思うことがあります。筋はすっかり忘れているのに、何か忘れられないものが心の奥に残っている。それを確かめたくて、そういう作品に久しぶり触れるてみたくなることがあります。


自分の書いてきたものについても、何かのきっかけで読み返すことがあります。やはり筋は忘れていて、自分が書いたはずなのに、意外な展開や言葉に、驚くことが多いです。そして、執筆当時の気持ちなどを思い出し、ちょっと胸が痛くなったりします。


まあ、なにしろ筋は忘れるわけです。残るのはそこではない。そんなことを考えながら、懐かしい本をめくる、晩秋の夜であります。




読み返したいミステリー三選。

加田伶太郎は小学生の時、親父の書斎にあった福永武彦全集で読んで以来。古本屋で見つけて嬉しくて買ってしまいました。


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春夏秋冬


花の歌、春夏秋冬、どの季節も良かった。


こういう芝居の台本係が一番性に合っているのかもな。50にして、すっかり研究生気分です。それでいい。


心に残るシーンもたくさんありました。一人暮らしのアパートで、奇跡について思うシーン。お互いに辛い過去を持つ二人が夢の話をするシーン。恐喝に向かった二人が考えを変えるシーン。不器用な女が自分なりのやり方で家族を守ろうとするシーン。姉妹が記憶を一緒に掘り出すシーン。


みんないい俳優になるね。


たまたま劇場の上の喫煙所で俳優座時代の友人と遭遇し、本当に久しぶりに、研究生の頃のように、夜の公園のベンチでビールを飲みながら語りました。お互い髪の毛は薄くなりましたが、映画や演劇論の中身は少し濃くなったかな。となりで亡き西川リョウタロウが爆笑しているような気がしました。



リョウちゃん、お前の母校で芝居やったぜ。


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花の歌


今日、明日(2020年11月7、8日)と、桐朋学園芸術短期大学で公演があります。大学生に混じって台本係で参加させてもらいます。


「花の歌」という作品。


同大学で演技指導をしている田中壮太郎から、女性が40人、男性が5人出る芝居書けない? と言われ、それは誰にも書けないのではないかと思い、四分割して、女性10人男性3人の芝居を書きました。


作品を書き、稽古場に一度も足を運ばずに本番を観るというのは新作公演では初めてで、大変楽しみにして今日の日を迎えた次第です。


一つの芝居を4組のまるで違う顔ぶれで観られるというのも得難い体験です。各座組が、春夏秋冬、季節を冠した名前になっているのも、「花の歌」という芝居には絶妙にマッチしていて、四季折々の味わいを密かに期待しています。


直前にはなりますがチケットも数枚残っているようです。


ああ、何か面白いこと、ないかなあ、アメリカ人は盛り上がってるなあ、オセロならトランプの赤は、隅を取ったバイデンの青にひっくり返されるなあ、などと一人煙草をくゆらせているあなた。秋晴れの週末、若者たちの「花の歌」を聞きに、東京のウィーン、芸術の都、京王線の仙川へ、お出かけになってはいかがでしょう。



バイクの気持ちいい季節ですね。フェンダーレスにしている途中の、下半身丸出しの愛車。

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偉い人


偉い人だ~


こう言える人が私にも何人かおりますが、そういう人って、どうも他の人からは大して偉いとは思われていない気がいたします。いや、もちろん気のせいかもしれませんが、極端な話、その人の偉さを知っているのは私だけなのではないかと思ったりするわけです。


しかし、これは考えてみればもっともなことではないでしょうか。偉い人は偉そうにしませんし、偉い人だと思われるようなことは人前ではなるべくしないようにします。いや、むしろ全然偉くなさそうにしますから、まあ、その人の偉さに気がつけないのは無理からぬ話なのです。


ですから、私がその人の偉さを知っているということは、その人にとっては秘密を握られたようなもので、口の軽い私が、「彼は偉い人だなあ!」などと口走ったりするのは時間の問題で、偉い人は大変心苦しく思うわけであります。


とは言え、まあ、口走ったとしても、「あんなやつちっとも偉いもんか(俺の方が偉いぞ)」と一笑に付されるわけですから、何の問題もないでしょう。偉いということは、それが真実偉いものであればあるほど、なかなか発覚しないものであると、まあ、こういう、ちょっとパラドックスな話であります。


そう考えると、なるほど、いわゆる偉人と呼ばれる人達は、そのほとんどが歴史上の人物であります。死者と言ってもよいでしょう。死んだのだからその業績や品行のキレイなところだけ、「偉いなあ~」と、美味しく頂けるわけです。しかし、万一彼らが生き返えるようなことがあればどうでしょう。その名誉が保証されるとは限りません。生き返って、たとえば電車の中でマスクをしなければエジソンでも睨まれるだろうし、タバコをふかせば夏目漱石でもきっと通報されます。偉人であっても生き返れば、クソジジイか、あるいはゾンビとして見せ物にされるのが令和2年の実際なのです。


まあ、それはともかく、どうも私の知っている偉い人にも、「偉人」に通じる、生きながら死んでいるような感じがあります。それは私が、高校時代に生徒指導の教師から、「林、目が死んでるぞ」と、やはり死んだ目で言われたときの「死んでる」とは明らかに異質のものであります。(私の瞳は輝いていた!)


なにしろ、まるで顔を洗うみたいに、バーニングサービス(焼身供養)をするベトナムの僧侶が、偉い人には重なって見えます。



梁の上の梅。偉そうです(笑)

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朝日君の反省


物心ついたときから朝日新聞だった。


同じように、物心ついたときから親父はジャイアンツファン。それで私も、何の疑いもなくジャイアンツファンになった。


ある日、ジャイアンツとは、ジャイアンツという独立した野球チームではなく、読売新聞の所有するチームだという絡繰りを理解し、それではどうして親父は読売新聞ではなく朝日新聞を読むのかと疑問に思い聞いてみた。


「読売は嫌いだ」というにべもない返事だった。なるほど、嫌いな奴の持ち物であっても、好きなこともあるのだ。そして、好きだから選ぶとも限らない、そうも思った。親父はよく朝日はダメだと言っていたから。


親父は死んだが実家では相変わらず朝日新聞を購読している。別にどこの新聞でもよいのだろう。しかし、昔から続いていることはそう簡単に変えられないのだ。不満があっても妻や夫を変えるのが面倒で変えないのと同じだ。


そんなわけで、ここ数年、実家に居候している私は、毎朝、朝日新聞をパラパラと読むわけだが、「まあ、朝日新聞だな」という感想を大体同じように持つ。ちょっと偉そうだが、そう思うのだから仕方がない。いや、朝日はやはり朝日であるというのはほめ言葉かもしれない。


ただ、ここ何年か、ちょっと鼻についていることがある。問題教師を容赦なく吊し上げたり、理不尽な校則には敢然とNOを突きつけたりする不良少年の朝日君らしくないと言うか。だって朝日君もついこの間まで吸っていたよね? 



はい、タバコの話です。



またかよ!


もう止めろ、その話は!


日向さん、タバコ吸わなきゃステキなのに...。


おえ、タバコって字を見るだけで吐きそう。


吸っても吐くな!


このハゲ!





はは、そんな愛に溢れた声が聞こえてくるわけでありますが、朝日新聞は一貫して喫煙を恐ろしく断定的に悪だとしているわけです。まあ、議論がない、独裁だ、ジャパンは民主主義なんだぞと、現政権を激しく批判する不良少年朝日君が、どうして喫煙については問答無用で悪とするのか。これは朝日君と長い付き合いの私としては大変アンフェアな感じがするわけであります。もしかすると朝日君は禁煙中で、それでちょっとイライラしているのかもしれない。(論調からすると社屋には喫煙所すらないのでしょう。愛煙家の社員さん、お気の毒です...)


まあ、そんな具合にですね、最近少し様子のおかしくなっていた朝日君に、なんと、今朝(20201010朝刊)助言をしてあげたお医者さんが現れたのです。15面オピニオンの、



「健康になれ」人生も社会も窮屈にさせる



という記事です。



大脇幸志郎さん。



朝日君、初め、少しケンカ腰になってますが、大脇さん、どこ吹く風と淡々と語られている。そして朝日君も次第にひきつけられていく。最後には、「タバコについてはゼロ寛容だったが、その考え方が危ういのだと反省した」って言っている。偉いぞ、朝日君!


いや、それにしても立派な先生だ。記事の中では触れていないけど、この先生、タバコ吸わない人だったらさらに驚きだ。でも、多分、というかここまで言えるのは吸ってる証拠。間違いない。喫煙の良さを体験的に知らなければ医者がここまでなかなか言えるものではない。こういうドクター、近所にいたら頼りになるのになぁ。クスリとか出さずに「クスリと」させて、病気とか治してくれそう。


なにしろ、大脇さんの最後の一言が全て。哲学者の池田晶子さんも同じことを言っている。



「人は健康のために生きるのではなく、生きるために健康であるべきなのです」


痺れますね。


コイツも、喰うために生きるのではなく、生きるために喰ってます。ん、共食い?


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夢、三選


昨日、夢の中で大変不愉快な仕打ちを受けました。しかし、まあそういうこともあるだろうと、怒りをぐっとこらえ、スタコラ場所を移ったのです。が、その件の人物はしつこく私に纏わりつき、挑発を繰り返すのです。さすがに私も言うべきことは言わねばと、言葉穏やかに諭そうとしたのですが、相手はますますカンカンになってしまい、拳を振り上げて私に襲い掛かってきたわけです。私はまず、左腕でその攻撃を受け止め、間髪を容れず右のストレートを相手の顔面に繰り出しました。


と、そこで目が覚めたのですが、この最後のですね、防御して攻撃っていう一連の動きを、そのまま私、物凄い勢いで実際に寝転がったままやって、それでビックリして目を覚ましたわけです。


いや、電車の中とか仕事中に居眠りして、こんな動きを急にして、人をぶん殴っちゃったりしたら大変だなと、自家焙煎モーニングコーヒーを飲みながら猛反省したわけです。



あ、こんなこともありました。


十代の頃、とあるバイク野郎と練習走行するために深夜のエビスサーキットにバイクを積んだワンボックスで乗り付け、ゲート前で二人してグースカ仮眠をとっていたときに、鳥かごに閉じ込められるという恐ろしい夢をみまして、大声で、「俺は鳥なんだ~!」と叫び、バイク野郎が飛び上がってビックリしたということが。あれは叫んだ自分が可笑しくなってしまい、笑い転げました。とにかく自由に生きたかった頃なので、鳥かごに閉じ込められるなんてガマンできずに、声にまで出して叫んだのだと思われます。


あ、あとですね、これはちょっと素敵なやつ。


夢の中にですね、懐かしい女性(実在の)が出てきましてですね、はは、いい感じになりましてね、それで別れ際に彼女が私の手のひらに、ペンで連絡先を書いたんです。もうこれは私の夢史上最高にリアルな夢でして、はっきりと、電話番号をですね、一字ずつ書いたわけです。


で、私、目を覚ましたときにですね、夢だということは布団の中にいるわけですから間違いないのにですね、手のひらに電話番号が残っているような気がしてならなかった。いや、もう確実にこれはあるなと、ドキドキしながらそう思ったわけです。それで、そっとですね、握った手を顔の前に持ってきて、ゆっくりと開いたんです。








       何もなかった。









これは結構へこみました。俺、ちょっとヤバいかな、とも思いました。両手とも調べたり、うっすらと記憶に残る夢の残像(電話番号)を思い出そうとしたりして。


キモイ? 


でも、こういうこと、ありません? たぶん、みんな言わないだけで、私が特別オカシイということはないと思います。私がオカシイのならみんなオカシイのでしょう。



まあ、人の夢の話なんか面白くもなんともありませんよね。スミマセン、長々と。




タマムシ。キレイでしょ。ひっくり返っていたので起こしてやりました。昨日はゴキブリを起こしました。極楽行き、間違いなし。



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あの人、何してるのかな?


今日は久々に自宅近くの森を散策。もうクワガタはいませんでした。今年はサボりました。虫探し。


で、少しひらけたところで秋空を見上げていましたところ、珍しく、元気のいい小学生低学年くらいの子供たちが七人走ってきまして、少し離れたところで一休みしながら、あの人、何してるのかな、とよく通る声で話題にされました。


まあ、ぼんやり突っ立って空を見上げてる人なんか、何もしてない人に見えるのでしょう。おまえたちをどうやって食べようか考えてるんだぞ~、と追いかけ回してやろうかと思ったのですが、女の子もいたので止めました。


小さい子供が、子供だけで遊んでるのって、いいですね。マスクも付けず、なんとかディスタンスも無視して。仲間に入れてもらいたかったなぁ。


私が彼らくらいの年の頃は、この森はまだ公園化されておらず、奥深く入り過ぎて出口が分からなくなり、暗くなって泣き出す友達もいましたっけ。懐かしく思い出します。あいつ今頃どうしてるかな、そんなふうに自分も思い出されることがあるんでしょうか。


以前、小学生時代の同級生に久々に会ったとき、林、みんなに嫌われてたよな、って言われ、大変驚き、心外な思いをしたことがありますが、まあ、事故誘発児と言われていましたからケガはたくさんさせました。しかし、悪気はなかったのです。


悪気がないのが一番たちが悪い、ともよく言われます。それは今も、あまり変わりがないようです。変わりませんね、そういうのは。


あ、ぼちぼち台本係として参加させて頂いた、桐朋学園の若者の舞台の稽古が始まるようです。大学の試演会ですので、一般の方がどのような形で観られるのか分かりませんが、ご興味のある方は大学のホームページなどでお調べ下さい。


若い俳優40人ほどが関わります。どんなドラマが生まれるか。今回は、ホント、楽しみです。



よく見ると先端に、木の電柱ならではの世界が....。ちょうど、最近、見かけなくなったなぁ木の電柱、って思っていたところでした。


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垂れ込み


今日は23年前に娘が産まれた日です。ずっと別居していますし、ここ数年は誕生日はボーイフレンドと過ごすようになってしまいましたから、今年も多分そうなるだろうと思いつつ、それでもなんとなく、この日は毎年、仕事を休みにしてしまいます。


数日前、娘がそのボーイフレンドと諍いをし、今年は誕生日を一人で過ごすかもしれない、オヤジの出番かもしれないぞ、との垂れ込みがあり、よし、俺の出番だ、どこかに連れて行って慰めてやろうと張り切ったわけですが、すぐに「仲直りした。オヤジ必要なし。悪しからず。」との知らせを受け、今日はまあ予定通り、予定のない休日となった次第であります。



法師蝉子と捕らえしはいつの日か

                十三



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チョー楽しみ


情報と知識は違う、ということを哲学者の池田晶子さんは言っています。


情報というのは、たとえば日々変わる株価のようなもので、必要に応じて使われる。それは多くの場合聞き流してしまえるものだ。株価を覚えようとする人はいない。


一方、知識は、これは、教えたり教えられたり出来るものではない。自分で発見するものだ。そして発見したのであれば、その知識は覚えようとするまでもなく、自らに備わるものだと。



俳優の伊勢谷さんが大麻の所持で逮捕されたという情報が流れました。と、それを追うように、彼のプライベートの「悪癖」が情報として垂れ流されます。つい先日、彼の異母兄弟の山本寛斎さんが亡くなったときは、同じように伊勢谷さんの美談が情報として流されていました。これ、なんかのコント? 



大麻の所持、使用は確かに違法です。しかし、その違法性は、歴史を、国境を越えて俯瞰すれば、まあ合法であってもおかしくないな、という違法性です。禁酒法とか健康増進法とか、そんなのは、一時的なブームみたいなものです。バナナを食べると痩せるとか、コーヒーを毎日飲むと長生きするとか。似たようなものです。


とすれば、逮捕は避けられないにせよ、この罪は伊勢谷さん自身の中で、彼自身が問うべきものです。彼の仕事や私生活とは本質的に別問題です。


大麻所持で逮捕されて、調べてみたら私生活でも悪さをしていた。怪しいと思ってたんだ。ざまあみろ。許さないぞ。二枚目だからって調子に乗ってんなよ。応援してたのに裏切られたわ。子供たちに、若者に悪影響を与えやがって。二度とテレビに出すな。スポンサーに土下座しろ。しこたま儲けてんだろ。いい思いしやがって。芸能界から追放しろ。いや、日本を出ていけ。自業自得だ。もう一回、ざまあみろだ。


並べてみると、気持ちいいくらい糞(失礼)情報です。単なるストレス発散。なにも考えていません。


私は伊勢谷さんの芝居は見たことがありません。彼自身の言葉もちゃんと聞いたり読んだりしたこともないので、個人として特別な目で見ることは出来ない。ただ、彼は俳優です。それだけは間違いないようです。俳優って、失敗の見本図みたいな存在です。「無傷」の俳優って存在可能でしょうか。存在したとして、その人の芝居を観たいと思いますか? 軍人にとって勲章(人殺しとか)が栄誉になるならば、俳優にとっても前科が誉になってもいいように思うのは果たして私だけでしょうか?


この失敗のために、追々、彼がダメになるか良くなるか分かりません。分かりませんが、良くなることに繋がる可能性は、間違いなく彼の中にあります。「いやいや、だからこそバッシングするんだろうが。それがクスリになるんだよ!」って言う輩が必ずいますけど、違います。黙って見つめられる方が、厳しいのです。ドラッグ....いや、クスリになるんです。深く考えさせられるのです。


ヴォルテールが寛容論を書いてから300年近く経ちます。しかし、人間は相変わらず不寛容です。誰かの失敗は100パーセントその人の責任だと無邪気に信じ、匿名で攻撃する。SNSはその幼児性を後押しし、大切な知識はいつまでも見つけられない。


長々と書きましたが、要は、次の伊勢谷さんの芝居が、チョー楽しみってことです。




チョー楽しみってことで、チョーチョの写真つけてみました。綺麗でしょ。公園で一服してたらヒラヒラ飛んできました。

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さらばDROP!


「DROP」のオンライン配信、いよいよ本日28日、17時30分までのご購入(ご視聴は19時30分まで)となりました。


ご購入頂いた皆様、お名前は確認させて頂いております! いつもいつも、本当にありがとうございます! 心より感謝申し上げます。是非、コメント欄などから、ご感想お聞かせください。お待ちしてます!


また、今回はご覧頂けなかった皆様にも、次回公演では二倍、三倍お楽しみ頂けるよう、準備を進めていきたいと思っております。ご期待ください!


この厳しい状況下、新宿で演劇公演を成功させることが出来たのは、皆様のご支援のおかげです。また舞台でお会いしましょう!



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「DROP」が読みたい! という声にお応えします!

「DROP」の台本の冒頭部分です。


続きが気になる方は、ツツガムシホームページへ!




~~~~~~~~~~~~~~~~~
        DROP

どこか遠い外国の、港に面した公園。夕暮れどき。ペンキのはげたベンチに幼い少女が一人腰掛けて泣いている。出船を告げる汽笛の音。海鳥の声。潮の香り。


そこへ一人の男が現れる。探偵。いや、昨日まで探偵だった男。独り者。年老いた男。しかし、今日、非合法組織を出し抜き、その裏金を奪ったのだ。計画は順調に進み、後は目の前の出航直前の船に乗って旅立つばかり。


汽笛の音。男は静かな足取りで船に向かう。と、彼の耳に、ハーモニカの掠れた音が流れ込む。歩みを止めて音のする方へ振り向くと、ベンチに座って一人すすり泣く少女の姿。周囲をぐるっと眺めるが誰もいない。男はじっと少女を見つめる。腕の時計に目をやる。まだ少し時間がある。男は、少女の腰掛けるベンチに歩み寄る。


    どうしたの? お母さんとはぐれちゃったのかい?


少女はぴたりと泣き止む。そして顔を上げ、真っすぐ男を見る。男は、泣きはらしてはいるが、力のこもった少女の瞳に、思いがけず胸を突かれる。


少女    お母さんなんていないもん。

    そうか……。だれか待ってるの?

少女    ずっと……まってるの。

    来ないのか? その人は。

少女    ……。

    おうちは近くなの?


 少女は遠く高台に見える修道院を指さす。


    修道院……。

少女    (こっくりと頷いて)……。

    もうお帰り。また、明日待てばいい。じき日が沈んで、この辺りは真っ暗になる。

少女    ……。

    こんなところで泣いていると危ないよ。港には人さらいがいるからね。一人ぼっちの子どもはいないかって、目を光らせて探してるんだよ。

少女    (パッと顔を輝かせて)おじいさん、人さらい?

    え……。

少女    人さらいなんじゃない?

    人さらいに見えるかい?


少女、男をじっと見つめて。


少女    おじいさんは……ちがうみたい。

    ……。

少女    あたし、わかるの。わるい人ばかり見てきたから。その人がどんな人なのか、見ればわかるの。


 汽笛が鳴る。男は時計を見る。出航の時間が近付いている。


    いいかい……俺は悪い人間だ。君にも間違えることはある。人さらいはこんなふうに、いい人のふりをして近づいてくる。気を付けなきゃいけない。

少女    おじいさんも気をつけなきゃ。

    ……。

少女    船がよんでるよ。早くのらないと、おいてっちゃうぞって。


汽笛の音。


少女    さようなら……いいたびをしてね。

    ああ……さようなら。


男は船に向かう。少女はその後姿を見送って、再び思い出したようにうつむいて泣き始める。そこへ、男が戻ってきて静かに少女の隣に腰を下ろす。


    分かったぞ。泣いている理由。

少女    (驚いて顔を上げて)……。

    お腹が痛いんだ。

少女    ……。

    違う? じゃあ、歯か? 歯が痛いんだ。

少女    ……。

    あれ……それじゃあ、お尻? お尻が痛いのか。

少女    おしりなんかいたくない。

    そうか。でもどこか痛いんだろ?

少女    (胸に手を当てて)ここ……ここがいたいの!

    ああ、そこは、一番痛いところだ。


少女は、少し笑う。男はポケットからドロップを二つ取り出して、一つを少女に差し出す。


    痛み止めだ。


少女は受け取って見つめる。男が包み紙から出して口に放り込み、舌の上で転がすと、少女も同じようにして口に放り込む。


少女    おじいさんも……ここがいたいの?

    ときどきね……。まあ、大人にはもっと効く薬があるけどな。

少女    これ……ロビンにもあげたい……。

    ロビン?

少女    いなくなっちゃったの……。

    ロビンってのは……犬か?

少女    人よ。あたしの、たったひとりのともだち。

    ……。

少女    もう何日もまえに、あたしたち、ここにふたりで船を見に来たの。いい天気で、あたたかくて、それに、あんなに気持ちのいい風がふくんだもん。あたし、ねむっちゃったの。でも、たぶんみじかい時間よ。ゆめだって見なかったんだから。それなのに、目をさましたら、いなくなってた。ちゃんとここにおいといたのに……。

    置いといた……友達を?

少女    お人形なの。ロビンは。

    ああ……。

少女    みんなわすれろって言う。もう見つからない。きっとねむっているときにぬすまれたんだって。人さらいに、さらわれたんだって……。だからね、あたし、ここで人さらいを待ってるの。ロビンをさらった人をつかまえてやるの。

    そいつは勇ましいね。

少女    あたし、けんかなら男の子にだってまけないもん。

    しかし、相手は一人だとは限らない。ピストルを持っているかもしれない。

少女    そのときは、わざとさらわれて、つかまったロビンのとじこめられているところにもぐりこむの。そうすればロビンをたすけ出せるでしょ。

    なるほど……。大切な友達なんだね。

少女    あたしたち、いっしょにすてられたの。

    ……。

少女    ハコの中から声がするからのぞいてみたら、あかんぼうのあたしが、ロビンとたのしそうに話をしてたんだって。

    ……。

少女    あたしたち、ずっといっしょだった。

    ……。

少女    ロビンがいないと、体が半分にちぎられたみたいなの。


 汽笛が続けて三度鳴る。


少女    行っちゃった……。

    ああ。行っちゃったけど、また来るさ。

少女    ……。

    どんな子なの?

少女    ……。

    ロビン。探してるんだろ?

少女    おじいさん、いっしょにさがしてくれる?

    俺はね、人探しのプロなんだ。

少女    ほんとに?

    ああ。これまでも、たくさん人を探して、見つけてきた。

少女    ロビンも見つけられる?

    ああ……ただ、彼がどんな子なのか知る必要がある。手がかりがないと、探せないだろ?

少女    (目を輝かせて)ロビンはね、このくらいの大きさでね、白い顔で、目が大きくて、金色のきれいなかみの毛をしていて、水玉もようのふくを着てるの。


 男はポケットから手帳を取り出してメモを取りながら。


    金髪で……水玉模様の服と……。ほかに特徴は?

少女    とくちょう?

    ああ……特徴ってのは、なんだ……癖とか、そういうロビンらしさだよ。足を引きずって歩くとか。タバコを吸うとか。

少女    タバコなんかすわないよ。まだこどもなんだから。


 と、少女は口からドロップを吐き出して包み紙に戻す。


    どうした?

少女    半分とっといて、また、いたくなったらなめる。

    ああ……。

少女    あ、ロビンはねこがきらいよ。

    猫が?

少女    一度、ねこにひどくかみつかれて、それからロビンはねこがきらいになったの。

    (メモする)ロビンは、猫が嫌いと……。

少女    あと、べんきょうもすきじゃないみたい。がっこうなんかぜったいに行きたくないって言ってたから。

    (メモする)勉強も嫌いと……。

少女    それから、パン屋のおばさんもきらいなの。だってあの人、ロビンのこと、ピエロみたいだってわらうんだもん。

    嫌いなものばかりだな……。

少女    すきなものだってあるわ。ロビンはうたうのが大すきよ。

    へえ、どんな歌を歌うんだい?

少女    じぶんでつくった歌。ロビンはそのときの気持ちをなんでも歌にしちゃうの。

    (メモする)作曲の才能があると……。

少女    ああ……もういちどロビンの歌がきけたら、あたし、しんでもいい。

    ……。

少女    あたしたち、いちばんのなかよしだけど、よくけんかもした。それで半日口をきかなかったこともあった。でも、そんなとき、いつもさいしょにあやまるのはロビンだった。すこしいじっぱりで、おっちょこちょいなところもあるけど、その百ばいくらい、すなおでやさしいの。

    (少女の横顔を見つめて)……。

少女    あ、そうそう、ロビンにはひげがあるの!

    髭が? だって子供なんだろ。

少女    去年のクリスマスのとき、あたしたち大げんかしたの。あたし、どうしてもゆるせなくってね、それで、ロビンがねむっているときに、ペンでひげをかいちゃった。

    はは……何があったんだい?

少女    サンタクロースなんていない。そんなのを信じているお前はバカだって言ったの。

    それは……ひどいな。

少女    そういうことを言うのよ、ロビンは……でも、ひげをかいても、ロビンはおこらなかった……。あんなこと、しなければよかった……。

    (メモする)ロビンには髭が生えていると……。

少女    それからね、ロビンは……。

    いや、もう十分だ。これだけ手がかりがあればきっと見つかる。だから、今日はもうおうちにお帰り。シスターが心配している。

少女    おじいさん、またあした、ここで会える?

    ああ。また、ここで会おう。

少女    きっとよ。きっと来てね。


 少女、立ち去る。遠くでふり返って大きな声で。


少女    おじいさん、人さらいに気をつけるのよ!


男は一人、沈みかけた夕日に染まった海の、すでに遠く沖を行く船を見つめる。汽笛が微かに聞こえて。


    金髪で、白い顔をした目の大きい、水玉模様の服を着た、髭面の男か……。


男は、ぼんやりと「ロビン」を想像する。と、その「言葉通り」の姿をしたロビンが現れる。ロビンは男の隣に腰を下ろす。



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28日までご観劇頂けます~


14日、16日バージョンがございます。

オススメは、16日バージョンです。


読んで、観る。


これまた楽し(笑)



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「DROP」まだ観られるんだ!?


昨日、「DROP」の劇場公演が無事、終了いたしました。ご来場頂いた皆様には心より御礼申し上げます。


ただし!


今回はオンライン配信も同時に行っておりますゆえ、なんとアーカイヴ配信を、8月28日まで、ご購入頂けます!


「ああ、仕事やめたい...」とか「我が恋人はいずこに...」とか「人生って何だろう...」とか、そんなことを考えて眠れなくなった夜に、ご自宅でもお気軽にご観劇頂けるわけでございます。


14日バージョンと16日バージョンをお選び頂けるのですが、私、日向のオススメは16日バージョンです。ご参考まで。(ツツガムシホームページより購入頂けます!)



とはいえ、すでに劇場を後にしたわけでして、頭は次の11月の芝居に切り替えなければならないのですが、どうもそう簡単には切り替えられないものですね。少なくとも今日一日は、日焼けした肌のように熱は冷めないでしょう。諦めます。



「DROP」について、語りたいことは山ほどあるのですが、また、長くなりそうなので一つだけ。



今回も、多くの人の助けがあって実現した企画でしたが、いつもとは状況が違いました。はい、コロナです。しかも感染者数が増える中での「新宿」での公演です。多くの人が恐れているのは自分自身の感染というよりも、家庭や職場や大切な人達に、自分がウィルスを持ち込み、感染させてしまうことです。特にご年配の人が身近にいれば、その気持ちは大きくなって当然です。


そんな中、手弁当で、この企画のために、全日程、稽古、本番に参加し、一緒に舞台を作り上げてくれた陰の立役者がいます。今回のツツガムシ企画はその人の存在抜きには有り得なかったでしょう。



椎名慧都さん。



俳優座の宝のような女優さんです。5月のオンラインドラマ「無人島」で、ココロウィルスに感染した悲劇?のヒロインです。(無人島は今月一杯は、引き続きYouTubeにて配信されるそうです。是非、ご覧下さい!)


才能と情熱に溢れた、太陽のように眩しい俳優さんです。


表に出ることはなかったけれど、この芝居には、そういうかけがえのない人もかかわってくれた。そのことを、忘れないように、ここに書き残しておきたいと思います。


ありがとう、椎名さん!



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家で観るか、新宿で観るか、それが問題だ

「DROP」本日、初日!



日向十三(四十代)最後の芝居になります。



三十七のとき、処女作「仮死」を書いた勢いで、風の吹くまま気の向くままに、好き勝手に芝居を書いてきたつもりでいましたが、実際のところはそうやって、二人の男に面白い面白いとおだてられながら、年間一本にも満たない大家のようなペースで書かせてもらっていたという、とんだ箱入り作家だったわけです。


十三年間で八本ですからね。ピッチャーの現役本塁打数じゃあるまいし。


でありますから、まあツツガムシの二人には、私も偉そうなことを言ったり、したりすることもありますが、それは親に対する子の反抗のようなものでして、実は戦う前から勝負は決まっておるのです。


田中は、「ねえ、ここさ、バッサリカットした方がよくないかね?」なんてことを、バッサリカット前提で相談してきますし、本多は無言で、難しい「演技」をしなくて済む、しかし目立つ役柄を毎回要求してきます。もしも私がまかり間違えて、「いや、そこをカットしたら作品に破滅的な影響がでるぞ」とか言ったり、本多に難しい長ゼリフを言う役を書いたりしようものなら、彼らはきっと恩知らずを見るような目で私を冷たく見つめ、「偉くなったんだねえ、日向さんも」みたいなことを、針で刺すように言うでしょう。


それで最近は、謙遜、けんそんですね、そういう気持ちを表すために、作家とか偉そうな肩書きは口にしないように用心して、僕は、ツツガムシの台本係です、みたいな感じで目立たないようにしています。


なんか、中学の部活の一年みたいな感じです。何部かな。園芸部とか水泳部とか、ちょっとマイナーな部活の一年坊主。悲劇の運命共同体。


あ、そこに最近、転校生のツカチンが入部してきて、一緒に悪さをするようになりました。知能指数が一人だけ三桁あるので、三人ではいくら考えてもよくわからなかった難しい問題に答えを出してくれたりします。一見、温厚そうだけど暴れたらいちばんヤバいんじゃないかって、みんなに思われています。(ツカチンは中学時代の私の同級生です。友達の親父さんの葬儀で再会し、悪の世界に引きずり込んでしまいました! 奥様、お嬢さん、お許し下さい!)


まあ、そんな四人で、「DROP」は企画しました。



ちょっと、面白そうでしょ? 


あんまり、面白くなさそう?



あのね、



面白いよ。



多分。



観てね(^^)




このユリは手前に咲いていた数輪のほかのユリよりも一足早く枯れました。抜け殻の重さも馬鹿にならないのですね。
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ああ、出入り禁止!

昨夜のことです。



(ウキウキで)明日、稽古場、顔出すよ~。何時から?


こないで! 密になるから!


え....


お前、感染してるかもしれないだろ?


まあ....


窓、ないんだぞ。人は少ない方がいい。


そうか...でもさ...


(プープー)

あっ! もしもし! もしもし! もしもしもし!




うーん、徹底してますな。恐るべし、ツツガムシコロナ対策事務局。



狭い稽古場に用もない作家がふらっと現れて、タバコをふかしたりゲラゲラ笑ったりするのは、確かによろしくない。もしかしたら、「なあ、あの場面はさ....」なんて、ソーシャルディスタンスを破って文句を言ってくるかもしれない。危険だ。


ということで、稽古場、出入り禁止になってしまいました! 



ガーン!



あ、久々に、ガーンって言って(書いて?)みました。子供の頃、これを言うと母親から怒られました。良くない言葉なのよ。癌なのよって。友達が楽しそうに、親の前でガーン、ガーン、ガーンって言ってるのを少しうらやましく思って眺めたことを思い出します。



まあ、そんな気分です。旅に出たい。


作家は本を書いたらやることがないので困ってしまいます。それで稽古場に行って、タバコをふかしたり、ゲラゲラ笑ったり、少し意見してみたりしているわけです。罪滅ぼしのようなものです。


しかし、稽古を見ないで、いきなり本番を観るというのは今までになかったことです。ちょっと楽しみではあります。



こいつ天使みたいだった

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