たった一人のために

稽古場のぞいてきました

ほんと、久々だなあ
芝居やるの

人がたくさん集まって
別にそんな世界作らなくたって
誰も文句言わないのに

もう、誰も止められない核融合みたいになって
それまでどこにもなかった
世界を作ってしまう

その世界は大都会の地下室で
何度か生み出されるだけで
ほとんど誰も見ることができない

世界の総人口を考えれば
誰も見てないといってもいいくらいだ

そうだ、
多くの人に見てもらいたいと願いながら
その実、芝居はたった一人のために作られる
正体のわからない「大勢」のために
作られるものでは決してないし
作れるものでもない


もう、目を瞑ると浮かんでくる

劇場に入ってくる
最初の客

たった一人の
あなたの顔が



「沈黙」を見た

Pカンパニー公演、「沈黙」を見た
以前石原燃さんの「父を葬る」を見て
また石原さんの作品を見たいと思っていた

今回も良かったです

死刑制度というのは芝居にすると
これは死刑制度そのもののエネルギーに
引きずり回されるというか
うまいたとえではないけれど、
なかなか料理の難しい食材というか
とにかく、死刑制度の解説書のようになってしまうことが多い

しかし、石原さんの脚本は、
それを逆手に取って(?)
死刑制度を場末のスナックに引きずり込んだ

豊かな人物造形とドラマ展開
息をのむ瞬間がいくつもあった

大いに刺激的な脚本でした


俳優陣もみな素晴らしかった
中でも印象的だったのは

会田一生さんと木村万理さん
それに小林司さん

特筆すべきは木村さんで
あの手の役柄は
それらしく演じても
臭いがしてこないところに
どうしても物足りなさを感じてしまう
しかし木村さんは、
臭いましたね
ぷう~んと
これは、本当に驚きました
息子役の小林さんとの関係も絶妙で
ここは演出の小笠原さんの腕前なんだと思います


で、この日もう一つ楽しみにしていたのは
アフタートーク
ゲストが石原さんと作家の森達也さん
森さんは僕が大好きな作家のおひとりで
数少ない尊敬する同時代作家です

森さんのお話は作品に書いていることと
1ミリのずれもありませんでした
言葉通りの生き方をしている人でした
いつ殺されても文句はない
そういう覚悟をした上で、人の前に立っている人だと思いました

真摯に一生懸命お話しされる森さんの姿を見つめながら、
森さんの精神もまた、一つの肉体の中にあるのだなあと
ちょっと不思議な気がしました

途中、フィンランドの刑務所を訪れた時のドキュメントを
上映したのですが、これは衝撃でした
人を3人殺した殺人者であっても、定期的に
自宅に帰ることができるのです
日本との比較において驚くと同時に
何より、そういう制度を受け入れる
フィンランド社会に
驚きを禁じえませんでした

犯罪者に罰を与える日本と
犯罪者もまた被害者であると考えるフィンランド
どちらが正しい正しくないという問題ではなく
ただただ、フィンランドの精神性の豊かさに心を打たれます


そんな、あれこれ魅力たっぷりの
Pカンパニー公演
もう明日でおしまいですが
お勧めです


ぼちぼちチラシ、出来ますよ~

次回公演「ペーパープレーン」の準備が
着々と進んでいます

ぼちぼち、チラシも出来上がります

30000枚、刷りますが、
芝居を見ていただけるのは
1000人くらいです

最初っから見ていただける
1000人の方が分かっていれば
1000枚刷ればいい話ですけど
まあ、こんなことやってますよという
ツツガムシの近況報告的な意味合いも
ないわけではないので
とにかく、
30000枚、刷ります
総重量…結構ありますぜ…
はあ、はあ…
(息切れ)


そして願わくは、
そのうちの1枚が
是非このブログの読者の方の
お手元にも届きますように!

それはなかなかの確率で
不可能に近いと思われますので、

ご希望の方は
是非ご連絡くださいね
ブログのメッセージで
住所・氏名・枚数(3枚くらいまで)を教えてくださいね~
(コメントはダメですよ。気を付けてくださいね)

可能な限り
サイン入りで(要らないですね)
お送りいたします!

素敵なチラシなんで
お部屋に飾っても
いい感じです


なかなか台本が仕上がらない

今日こそ俺は
じっくり台本を書くのだ
少なくとも夜九時から放送される
ボクシング中継の前までは
火事になろうと、地震が起ころうと
一心不乱に書くのだ
そう心に誓った午後三時ごろ

携帯に何者かから連絡が
出ると謎の同級生Tだ

お前、何してるんだ?
いきなり、こう聞かれて身構える
もしかすると、久しぶりに一杯やろう
そういうお誘いかもしれない
断るのだ、すまないT、一人でのみに行け


いやさ、今日やる世界タイトルマッチ
女房が行けなくなってさ
お前好きだろ? 行く?


行く! 
行きます! 
行きましょうよ!


俺は創作を延期して、
デング熱のメッカ
渋谷の代々木体育館に向かった


第一体育館では韓国アイドルグループのコンサート
客層は若い女子中心
それに対して、第二体育館は
強面+美女というおもむき

格闘技を見に来る女性はきれいな人が多い
これは強面が、面食いだということなんだろうけど
今回もやっぱり美女が多かった気がしますね
(志穂美悦子っぽい感じの、回し蹴りとか上手そうな)


そんなことはどうでもよくて、

試合は何といってもメインエベント
八重樫VSローマン・ゴンザレス

このゴンザレスというのはニカラグアの英雄で
アマ・プロ通して負け知らず
強すぎて対戦相手がいなくなってしまったという男

それなら俺がやってやろうじゃないかと
一階級上の八重樫が挑戦を受けたのだった

ゴンザレスは強かった
でも、八重樫はいいボクシングを見せてくれた
負けたけれど、勝敗を超えた何かがあった試合だった

前にも井岡と八重樫の試合について
書いたことがあったけれど
彼のファイティングスピリットは
本当に素晴らしい

願わくは、もう少しストップは待ってもらいたかった
倒された八重樫が、その後、どんな戦いっぷりを見せてくれるのか
また、とどめを刺しに行くゴンザレスに隙が生まれないとも限らない
危険だということは分かっているが、追い詰められたときにこそ
ボクサーは生きるのだ

それ以外の試合では
ずっと弱そうな方を大声で応援していました
結果、外国人ばかり応援することになり
そんな客は俺だけだったな

「キャットジム! ぶったおせ!」
「メキシカン! 連打だ! 連打!」
「ルナ! 負けるんじゃない!」


まあ、
彼らにしてみれば
ヤジに聞こえたかもしれないけど

まあいいか


演劇、犯罪、祈り

演劇を行うことの
あの後ろめたさは
何だろう

或は観劇する場合でも
これから演劇を観に行きますと
そう宣言して観に行くことを
あまりしようとしないのは
どういうわけか

あれはやはり観劇もまた
あまり褒められたことではないという
後ろめたさが付きまとう
そのためではないか

それはもしかすると
犯罪を犯すのにも似た
やりきれないけれど
どこか秘密めいた
喜びも含んだ
そんな気分に
近いのかもしれない

なるほど
犯罪も演劇も
割に合わない

やらないに
越したことはない

しかし
懲りずに
繰り返す

その姿は滑稽ではあるが

どこか、
祈りをささげる人の
ようでもある

どこまでも
届かぬ祈りを


オーディション!

そろそろ
ツツガムシオーディションの
締切りです

毎日コツコツ書いていますが、
なかなか面白い芝居になりそうです
きっと悩ましく
刺激的な
稽古場になります

迷っている方

お金にはなりませんが
それ以上の収穫があります
それだけです
ツツガムシは

俳優のための
企画です

一緒に痺れる
芝居、作りましょう


22日
消印有効です

まだ間に合いますよ!

長い雨

生きている人間よりも
死者の方を
近しく感じることがある

かつてその生き生きとした精神に触れた
彼らの存在が
肉体はとうに滅びたはずなのに
どうもすぐそこに
手を伸ばせば触れるような
そんな感じの
することがある

それはたとえば7月の
隣家の老人の咳が止まらない夜
遺書という名の詩を書きながら
ふと、気が付くような
その程度の気配に過ぎないのだが

どうも死者は
すぐそばにいるようなのだ


長い雨のせいだろうか
はかどらぬ仕事のせいだろうか

しかし、決して

悪くはないのだ

もしも目が…

時々
目をつぶって
考える

もしも目が見えなくなったら

何が変わり
何が変わらないのか


目が見えなくなった俺は
きっとしばらくの間は
脳裏に焼き付いた
視覚的残像に
すがりるようにして
生きるだろう

でも、いつかきっと
そんな残像を手放す日が
来るのではないか

そんな予感を
持たぬわけではない


そしてそのときは、
残りの四つの感覚にも
依存しようとしないだろう

美しい響き
美しい香り
美しい手触り
美しい味わい

目が見えなくなれば

視覚に限らず
そういう感覚的な美に
とらわれることは
なくなる気がする


そう、だから
もしも目が見えなくなったら

すべてが変わり
すべてが変わらない

きっと、そんなところだ

それは、
鏡の前に立っているのに
そこに自分の姿が、映っていない

しかし、鏡に映っていなくても
自分のことが
よく見えている

きっと、そんな
感じだ



新ホームページスタート!

皆様!

ツツガムシのサイトが新しくなりました!



http://tutuga64.com



なんか、洗練された感じの
ホームページになりました

メンバーも増えて
何だか楽し気
ツツガムシ

オーディション情報も
そちらで見られます

締め切りまで
ひと月しかありません

奮ってご参加ください!


隆三さん

二十歳の時
文学座の研修生2年目の発表会で
戯曲に非常に疑問を感じる芝居に配役された

演出家に理由を説明して出演を辞退したのだが
ひよっこの俳優がやりもしないで何が分かると叱責され
それも確かに一理あるなと思い稽古を始めたものの
立ち稽古に入るあたりで、やはりこれをやったらダメだと感じ
やはり出来ない、舞台は降りるがその代り
文学座もやめるし、俳優もやめるといって
稽古途中で芝居をあきらめた

そんな失意の日々に
友人から
名前がよく似ているからといって
紹介してもらったのが
林隆三さんだった

そんな時期だったから
隆三さんの芝居を近くで見たり
お話をうかがう機会を得られたりしたのは
本当に幸運だった


隆三さんは
素晴らしい俳優であると同時に
心の温かい優しい人だった

ドラマの撮影に同行させていただいたとき
一人ぽつんと突っ立っている俺のところに
現場を離れて近づいてきてくださり

お前、遠目に見ていて
ちょっと雰囲気が
アラビアのロレンスの
ピーターオトゥールに似てるよ
俺なんか、憧れた役者だったよ…

そんなことを言ってくれた

その時俺は
隆三さんが
実際そう思たのだとしか
思わなかったが

今思えば
あれは励ましだ

隆三さんは俺を力づけるために
あんな嬉しいことを言ってくれたのだ

でなければ二十歳そこそこの俳優崩れを
憧れの俳優に似ているなんて言うものか

隆三さんは
はにかむ俺の顔を見て
静かに微笑んでいた

あの笑顔が
忘れられない


その隆三さんが
先日、亡くなった

つい数週間前に
出演のオファーを
したばかりだった

ツツガムシの芝居に
隆三さんに出演していただくという
ずっと楽しみにしていた夢が
これで、永遠に叶わなくなってしまった

やりきれない
こういうのは


ただ救いなのは
俺の書いた長い手紙を
隆三さんは真剣に読んでくれていたという
マネージャーのHさんの話

その姿が
俺にはありありと
目に浮かぶ

台本次第だろ
H,そうだろ?

そんなことを
言っていたらしい

厳しくも
嘘のない
真実の
言葉

本当に
台本次第です


隆三さん

さようなら

そして
いろいろ

ありがとうございました




利休とソクラテス


ベッドの下から、埃をかむった
有馬賴底「無の道を生きる-禅の辻説法」(集英社)が出てきたので
何となく流し読みをしていると、

その中に、有馬家に伝わる千利休の書、
「半身達磨自問自答」が紹介されていて、
利休の茶の湯に対する哲学を語った言葉が
目についた


絵ニカケル、ワレコソワれよ古ノ如何是九年面壁


訳)達磨さんが九年壁に向かって座禅を続けたように、
私はずっと茶の湯をやってきた。達磨さんの九年には
どんな意味があるのか? また、私がずっと続けてきた
茶とは何なのか?

この問いかけに対して、利休自身が答える


返歌とて遊ふべき事ノあらバコソ、返歌せぬコソ返歌成けれ

訳)返歌はしない、それには答えない。返事をしないのが
私の返事だ


おお、
返事をしないのが、私の返事だ!


何だか、胸にジーンとくる言葉だ
そして、この言葉に重なるように
ある言葉を、思い出す

そう、あれだ!

無知の知


普通はね、
返事をしないのは返事をしてないだけであって、
それが返事になるなんて、屁理屈にもならないと思うだろうし、
知らない(無知)ことは、ただひたすらに知らないだけであって
まさかそのことが知識になるなんて、思いもよらないであろう

そこを実にさりげなく
しかも、一瞬で
ひっくり返した

無言の雄弁
無知の博識

天晴れ
利休とソクラテス


加えて
もうひとつ

その最期もよく似てる

利休もソクラテスも
いずれも死刑(自死)を命ぜられ、
弟子が逃亡を促しているにもかかわらず、
従容として死に赴いている

利休にせよ
ソクラテスにせよ

生き方(死に方)と
その言葉に

紙一重ほどの
違いもない

言葉の通りに
生きている




気を付けるより、やっつける

この世界には
素晴らしいと思うこともたくさんある
でも、
絶望的な気分になることも
たくさんあるね

たとえば、
俺の住んでる地域では
町内放送のようなものがあって
屋外スピーカーから
徘徊で行方不明になったお年寄りの情報を流したり
地震があった時に、津波情報を流したりする

それはそれで
結構温かく
悪くない取り組みだと思う
やはり、気を付けて
周囲を見るようになるしね


その町内放送で
ここ数年、やたらと流される
注意喚起放送がある

振り込め詐欺である

「振り込め詐欺の電話がこの地域で集中している
息子の名前を語って金の無心をする電話は
振り込め詐欺だから警察に連絡してください」
こんな内容

これが多いときは連日のように
町中に、大音量で流される


そういう世界にした責任の一端が
自分にもあるんだろうとは思うけど
それにしても、ひどい世の中だなあと思う

こんなことを放送しなければいけない
そういう国になってしまったんだなあと

誤解を恐れずに言えば
これに比べれば
戦時中の空襲警報の方が
まだ人間味があったのじゃないかな

振り込め詐欺警報は
ただ、不愉快と
絶望と
吐き気しか
感じられない


では、どうするか

どうしようもないね
こういうことができてしまう連中を
簡単に変えることはできない

というより
変わらないね

変われるような知性がないから、
こんな醜いことが
平気で出来てしまうんだと思う
普通の感覚の持ち主だったら
できないよ
強要されたら
死ぬかもしれない
それくらい
許し難いことだ


だから、俺は
もう戦うしかないのだと思う
そういう人の心に唾棄するような
人間をなめきった奴から電話がかかってきたら
それこそだまされたふりをして
出かけていこうじゃないか
もちろん現金の代わりに
殺虫剤とか
催涙スプレーとか
スタンガンとか
金属バットを持って
退治するべきだと思う

老人が立ち上がり
戦うための援助を
警察や地域社会は
積極的にするべきだ

そうでもしなければ
いつまでたっても
変わらないだろう

いつか、
俺がじいさんになって
息子の名前を語る奴から連絡が来たら
どうしてやろうか

入れ歯に毒を塗って
噛みついてやろうか
(あ、俺も死ぬな)







ツツガムシオーディション予告!

次回12月公演のツツガムシでは
出演者のオーディションを
行うことになりました


そういえば俳優をしていたころは
日本にはオーディションが少なくて
やってられねえな、と
よく仲間(本多とか)と
昼間からビールを飲みながら
公園で死ぬ稽古とかしながら
話していたもんです
(劇団の稽古をさぼって)

ちなみに「死ぬ稽古」とは、
ピストルで撃たれて死ぬまでに
たとえば10メートルをどんな感じで
移動するのかお前は!
というようなエチュードです

エチュードと言えば
ほんと、市街エチュードは
いろいろやったなあ

急性アルコール中毒エチュードでは
本当に救急車を呼ばれてしまい
慌てて逃げたことがあったし

どうしても映画が見たいのだけれど
お金がないので
出世払いで見せてくれと叫んで
映画館中を走り回って
係員に追い掛け回されたり
(ん? これはエチュードか?)

ただのバカ
迷惑千万ですね
今から思うと
とほほ


でも、オーデションを渇望していたのは確かで
すべては、いつ決まるかわからないオーデションのための
エチュードだった
気分だけは、
デニーロ、パシーノ、優作だった


そういう俺たちが公演をやるのなら
オーディションをやらない手はない
そういう感じですかね

だから、すごく楽しみです

多くの俳優と
出会える機会を
持てることが

すでに出会っている人とも
まだ出会っていない人とも

一緒に何かを
つくりたい!!
つくろう!


オーディション情報は
詳しくは、追ってお知らせします
乞うご期待!



こんな安倍さんを応援したい

内閣総理大臣
安倍さん

ボクシングでも
空手でも
合気道でも
何でもいいから
やってみませんか

合気道の達人は言っています
究極の技は
敵と友達になることだと

また、ヒクソン・グレイシーは言っています
相手をケガさせずに勝利に持ち込むのが
理想的な試合の落としどころだと

政治も同じだと
俺は思うんです
それは、
相手がアメリカでも
中国でも
韓国でも
北朝鮮でも
同じだと思うんです

どんな国家も
その構成要素は
一人の人間
一個人です

政治の原点は
一対一の
勝負だと思います

格闘技や武術を通して
傷つけたり傷つけられたりする体験が
政治家にとって
無駄になるとは
思えません


政治家
安倍選手が
第九条を使って

敵という敵をことごとく
友達にしていく戦いが
心から見てみたい

そのためだったら
どんなに危険な戦場にも
応援に行けると思う

たとえ負けても
いい試合をしてほしいと
思える

そんなふうに考えているのは
俺だけではないと思います

心から

俳優ばかり? ツツガムシ

人生わずか50年
化転のうちに暗ぶれば
夢幻のごとくなり

だったっけな?

俺は43だから
あと7年で50

信長の時代から見れば
そりゃあ寿命は伸びたけどね
50って年齢の意味するところは
そんなに変わっていない気もする

あと7年
すぐだね



さて、朗報です
ツツガムシが一夜にして
増殖いたしました!


土屋士!
つちや、つかさ、と読みます


俳優です
初対面です
お互いのことを
ほとんど何も知りません
芝居を見たこともなければ
見てもらったこともない

でも、だから
こういうことになったのかな?
なんてふうにも思う

芝居なんてのは
上手い下手ではなく
その人間が出るものだからね
演技力というのは
その「人間」の部分が
問われているのだと
俺は思う


おお、ツツガムシは
俳優のための
演劇企画体だが
なるほど5人全員
俳優になったではないかと、
うっかり口走ると、

「お前、まだ俳優のつもりでいるな!」
と、次回公演で再びデニーロアプローチ
(肉体改造)を命じられた本多新也が
酒臭いが、妙にうれしそうに
からんできた

まあ、精神的には
俳優のつもりで
(自分が演じるつもりで)
書いているなあ


次回はメンバー全員出るぞ!
どんな世界が生まれるのか
実に、楽しみだ
(まだ、何も書いてない
急げ!)





悲しくも、嬉しいこと

悲しくも
嬉しいこと

そういうことは
確かにある


たとえば
息子に腕相撲で
負けたのは

油断していたとはいえ
悲しくも
嬉しかった

よし
明日から
腕立てをしよう


43歳は
まだ、中学生に
負けるわけには
いかない

(負けたけど)

宇宙の果て

さて、宇宙はどこにある

夜、星空を見上げれば
どこまでも果てしなく続く宇宙が
手を伸ばせば、そこに触れる
宇宙は我が身の
外にある


さてさて、宇宙はどこにある

目を瞑れば
やはりどこまでも果てしなく続く宇宙が
心のずっと奥底の、
暗いところに眠ってる
宇宙は我が身の
内にある

とすると、
宇宙のありかは
この我が身を挟んだ
内と外

それら両宇宙を隔てるものは
それは、吹けば飛ぶ
薄皮一枚の
我が身なり

つまり、我が身は
宇宙の果てだ

猫背で薄毛の

宇宙の果てだ




どうでもいい、便座の話

いつだったか酒の席で、
トイレのことについて
話したことがあった

そのとき、一人の女性が
洋式トイレの便座を
上げたままにしておく男は許せないと
やや興奮気味に話していた

それは男の勝手な都合であって
した後は、元の形に戻すのが
最低限のマナーだろうと

そこで、いつでも便座を
上げっぱなしにしている俺は
その意図を彼女に伝えた

便座を上げているのは
ちゃんと便座を上げて放尿したよ
というメッセージなんだ

つまり、便座が汚れないように
注意しましたよ、
という意思表示なのだと

彼女は、仕方がなさそうな感じに
俺の話を聞いていたけど
俺は彼女がどうして
そんな、どうでもよさそうなことに
むきになるのか
判然としなかった


しかし、つい先日
その謎が解けた

不覚にも、俺は自宅で
自分で上げっぱなしにした便座に気づかず
大便をするために
腰を下ろした

ああ!
何という
尻の冷たさ!
何という
尻の汚さ!

そしてその瞬間に
目が覚めるように悟った

彼女の
言葉にしにくい
心の叫びを

NHKを守れ


写真家の藤原新也さんの呼びかけに応えて
俺もNHKの受信料不払い運動にのったよ

電話を掛けると、理由を言っても
不払いはダメだと突っぱねられるけど
ダメじゃないんだ、そうするのが
俺のためであり、ひいてはNHKのためなんだというと
オペレーターは上司に代わるよ
そこで、改めて不払いの理由を伝える
また、それはできないといわれる
きっと、そう答えるように指示されているんだね
らちが明かないから、
とにかく自動引き落としはやめたいと伝える
これは拒否できない
支払方法は電話口で変更できるので、
その場で登録住所などを伝えて
不払い手続きは完了
また、いい番組作ってくれよ、期待してるぜ
そう伝えて電話を切る
最後には、向こうも
ちょっと嬉しそうに
ありがとうって言ってくれた
本音が聞けて
嬉しいね

あとは、請求書が届いても
その時が来るまで、
受信料を振り込まない


安くない受信料だ
払うのが国民の義務なら
払わずに、
NHKが特定の思想に染まるのを
拒むのもまた、
国民の義務だろう

実に簡単にできる
静かで、強い
抗議だ


袴田さんで終わりにするな


プルーストの長編小説、『失われた時を求めて』を読み通した日本人はどれくらいいるだろう。千人、いや一万人に一人くらいだろうか。にもかかわらず、多くの日本人はその長編小説が歴史的な名作であると信じて疑わない。だから、信じられない話ではあるが、読んでもいないのに人に勧めたりする。これは傑作だよと。

袴田事件の話である。50年近く前、国民のほとんどは、袴田さんの供述に不審な点があるにもかかわらず、事件について裁判資料をろくに調べようともせずに、裁判所の決定を頭から信じ込んだ。有能な裁判官が有罪と言えば有罪、無罪と言えば無罪、そう無条件に信じ込んだ。この構造は、文学者がプルーストの作品を絶賛するのを盲信して、読みもしないのに、「プルーストは天才だ。『失われた時を求めて』は傑作だ。」と思い込むのに似ている。要するに、大切なのは権威の判断であり、自分の頭では、何も考えたくないのだ。だから昨日までの殺人鬼が、釈放されたとたんに悲劇のヒーローになる。このスイッチのような鮮やかな切り替わりは、また再びスイッチが切り替えられるのではないかという暗い可能性を私達に突きつける。その意味では何も解決していない。

 冤罪被害者と言うと、不運が重なって犯人の疑いがぬぐえなくなってしまった無実の人というイメージが強い。しかし、実際はそんな牧歌的なものではない。2010年に冤罪が認められた足利事件でもそうであった。警察や検察は証拠を隠しもすれば捏造もする。捜査段階で容疑者がほぼ確実に犯人だと確信したとする。(あるいは確信しようとする。)任務遂行の手段としてなら、たとえそれが犯罪的行為であっても自己肯定できる。その精神状態は想像に難くない。だから、冤罪を生み出す温床は確実に存在するし、無実の罪で服役している人も相当数いるはずなのだ。にもかかわらず再審請求の壁は絶望的に高い。しかも、裁判官の裁量によって証拠開示が左右されるという現実は、臭いものには蓋というやり方以外の何物でもなく、一般的な市民感覚から見ても異常としか言いようがない。

これまでも繰り返し言っていることだが、不自由の中で再審請求することには大変なエネルギーを要する。彼ら彼女らのやっていないという叫びは、一歩間違えれば、自らの命を絶つ断末魔に代わる。それは袴田さんの姿を見ても明らかではないか。それでも、「だまされるな、奴らは嘘をついている。」そう言う人がいる。しかし、問題はそれが嘘なのか本当なのかどちらなのかという、そんな低次元のことではないのだ。真に問題なのは、自由の中にいる我々が彼らの言葉を信じて何ができるか、このことでしかない。客観的な犯罪証拠がないうえで、やっていないと言っている人間を、それでも信用しようとしないのは、それは己の臆病を証明しているに過ぎない。まずは信じるに値する自分を作るところから始めるべきだろう。

現在再審請求中の事件に、恵庭OL殺人事件がある。これも是非、裁判資料を見ていただきたい。袴田さんで終わりではないことがよく分かるはずだ。