偉い人


偉い人だ~


こう言える人が私にも何人かおりますが、そういう人って、どうも他の人からは大して偉いとは思われていない気がいたします。いや、もちろん気のせいかもしれませんが、極端な話、その人の偉さを知っているのは私だけなのではないかと思ったりするわけです。


しかし、これは考えてみればもっともなことではないでしょうか。偉い人は偉そうにしませんし、偉い人だと思われるようなことは人前ではなるべくしないようにします。いや、むしろ全然偉くなさそうにしますから、まあ、その人の偉さに気がつけないのは無理からぬ話なのです。


ですから、私がその人の偉さを知っているということは、その人にとっては秘密を握られたようなもので、口の軽い私が、「彼は偉い人だなあ!」などと口走ったりするのは時間の問題で、偉い人は大変心苦しく思うわけであります。


とは言え、まあ、口走ったとしても、「あんなやつちっとも偉いもんか(俺の方が偉いぞ)」と一笑に付されるわけですから、何の問題もないでしょう。偉いということは、それが真実偉いものであればあるほど、なかなか発覚しないものであると、まあ、こういう、ちょっとパラドックスな話であります。


そう考えると、なるほど、いわゆる偉人と呼ばれる人達は、そのほとんどが歴史上の人物であります。死者と言ってもよいでしょう。死んだのだからその業績や品行のキレイなところだけ、「偉いなあ~」と、美味しく頂けるわけです。しかし、万一彼らが生き返えるようなことがあればどうでしょう。その名誉が保証されるとは限りません。生き返って、たとえば電車の中でマスクをしなければエジソンでも睨まれるだろうし、タバコをふかせば夏目漱石でもきっと通報されます。偉人であっても生き返れば、クソジジイか、あるいはゾンビとして見せ物にされるのが令和2年の実際なのです。


まあ、それはともかく、どうも私の知っている偉い人にも、「偉人」に通じる、生きながら死んでいるような感じがあります。それは私が、高校時代に生徒指導の教師から、「林、目が死んでるぞ」と、やはり死んだ目で言われたときの「死んでる」とは明らかに異質のものであります。(私の瞳は輝いていた!)


なにしろ、まるで顔を洗うみたいに、バーニングサービス(焼身供養)をするベトナムの僧侶が、偉い人には重なって見えます。



梁の上の梅。偉そうです(笑)

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