名ばかりの最高裁

本ブログでも何度か触れている、恵庭殺人事件。その第2次再審請求が今月12日、最高裁第二小法廷において棄却確定となった。裁判長は、菅野博之。


この結果に最早驚きはない。ただ、もしかしたら、という小さな望みが踏み潰された、それだけの話だ。


かつて多くの若者を置き去りにし、沈みゆく船から我先に脱出した船長がいたが、この裁判官も、蓋し同類であろう。知りもしない他人の命などどうでもよく、塗りつぶされた真実など糞食らえなのだ。きっと、いずれも世渡りが巧く、それで不幸にも分不相応の地位についてしまった。職責を果たす能力を持たない彼らは不幸であるが、社会の不幸はそれ以上である。


ここで詳しく繰り返さないが、大越さんの無実は明らかである。彼女に疑われる点が全くなかったわけではないが、しかしそれは彼女の落ち度によるものではない。状況から考えて避けようがなかったことだ。容疑者と犯人には千里の隔たりがある。その意味で私たちは例外なく明日の容疑者だ。疑わしきは罰せずの大原則は、それ故万人の盾となる。そして大越さんほど、「疑わしき」人はいない。だからこそ、彼女を応援している人がたくさんいる。司法は、この事件を再審せずに、一体何を再審しようというのか。真実追及の理想を実現するための再審請求制度が、その真実追及の精神を二度殺すとは何事か。


昨年暮れ、大越さんのことを思って書いた芝居が、桐朋学園の大学生たちによって舞台になった。学生たちの、あの力強い芝居を、裁判官、菅野博之が観ていたら、判断は変わっただろうか。


馬鹿げている。自分の無力さばかりを感じる。


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