未必的な殺意

今月の24日、最高裁で和歌山カレー事件の弁論が行われる。
この事件ではすでに、一審、二審、ともに死刑判決が出ている。
弁論の1~2か月後には判決が出る。
そして、ほとんどその判決が、最終的な判決になるのだ。

今から10年前、
1998年に起こったこの事件では、
67人が被害に遭い、
うち4人が死亡している。
誰かが夏祭り用ののカレーなべに、
大量の毒物を混入したのだ。

その容疑者として逮捕されたのが、林眞須美その人だ。
彼女は逮捕前から
マスコミによる熱狂的な報道により注目されていた。
カメラに向かって、
笑いながらホースの水をかけている映像は繰り返し流された。
あれを見れば、たいていの人は、こいつがやったんだろう、
と思うはずだ。
テレビをやってる人たちは、
そういう見せ方が実にうまい。

かくいう俺も、当時、あの映像を見て、
彼女が犯人だと信じ込み、
ひどいことをする奴だと、
今思えば随分としょんべんくさい義憤を感じたものだった。

確かに清廉潔白の人ではない。保険の外交員としてのノウハウを
犯罪に悪用したことは自ら認めている。
消費者金融などから借金をしてまで多額の保険金を家族ばかりか、
知人にまでかけた。その金額は年間に数千万円とも言われている。
その詐欺にヒ素を使っている。
カレーなべから大量に検出されたあのヒ素である。

そうなんだ、だからあいつがやったんだ。
マスコミも頑張ったじゃないか。捨てたもんじゃないな。
そう思う方も多いだろう。いや、ほとんど日本中の
7割~8割の人は、林被告が真犯人だと思っているはずだ。

しかし、この事件には謎が多いのだ。
第一、彼女が無差別大量殺人に踏み切る動機がない。

もちろん動機はあったのかもしれないが、
判決文には動機は解明されていないと書かれている。
その意味で、彼女に動機はない。

動機。
動機がない。
これはどういうことだろう?

動機がないということは、
明確な殺意がなかったということろにつながっていく。

誰かを殺したいほどの恨みを持っていたわけではなかった。
殺すことで多額の保険金が手に入るわけでもなかった。
それでも何千人も殺せるだけの大量のヒ素を
カレーなべに入れたのは、
近隣の住民と何となくうまくいっていなくて、
むしゃくしゃしていたから……。
まあ、誰か死ぬかもしれないし、
死んでもいいと思った。
未必的な殺意というやつだ。

一審では殺意が認定されないまま
状況証拠と未必的な殺意という苦し紛れの「論理」で
死刑判決が下されたのだ。

でも、怪しいんでしょ? 
だって他にいないんだから。
麻痺していたんだよ、
ヒ素は使い慣れていたんだし、
多額の保険金、7億だって?
そんな金を握っていたら
自分が偉くなったような気分にもなるでしょ?
それで、ちょっとしたことであれでしょ、
殺すぞ、この野郎とか思うようになったんでしょ?
いいんじゃない、死刑で。誰も文句言わないよ。

きっとそうだと思う。
彼女が死刑になっても、
ほとんどの人は、何も感じない。
ああ、終わったんだ。
それで本当に終わる。

でも、一方では
この事件が冤罪であると確信して闘っている人たちもいる。
この事件に関しては彼女は無実だと信じて疑わない人たちがいる。
勿論林被告自身も、彼女の家族も、
真実が一つであることを信じて闘っている。
この気持には真剣に向かい合わなければいけない。

彼女が死刑判決を受けることになれば、
それは我々自身も、いつ何時、
動機なき無差別大量殺人の容疑者にされてもおかしくないということだ。
自分には後ろ暗いことなど何もないから大丈夫だなんて考えないでほしい。
そんなものはいくらでも、後から作り出せるものなのだから。

でも、と俺は思う。
彼女が保険金詐欺によって、
莫大な金を不正に手に入れていたとしたら、
それをねたむ人だっていたかもしれない。
噂でヒ素を使って何かよからぬことをやっていると聞いたなら、
思い知らせてやろうと、こっそり彼女の自宅ガレージに忍び込んで、
ヒ素を盗み、素人にとってはちょっとだけ、
でもヒ素を知ってる者から見れば異常な量のヒ素を、
カレーのなべの中に、何らかの方法で混入し、
ちょっと騒ぎを起こして彼女を困らせてやろうとしたのが、
大変な殺人事件に発展しまった、
という不幸な筋書きだって考えられる。

この想像と、
林被告の動機のない犯行という推測の間に
大きな隔たりはない。

13日に田町で、
「和歌山カレー事件を考える会」というのが行われるらしい。
時間が合えば行ってみようか。

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